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ゲリラ雪

  : 

下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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広島発 バスに揺られて(番外編6) 

10.津駅18:17→18:55椋本(三重交通)52柳山 三重会館 椋本
09021001

(運賃は600円)

(順に1,2,3の地図をご参照ください)あたりはすっかり暗くなった。次に乗る椋本行きは交番の前、津駅前の一番端っこが乗り場だ。風がよく通るので、ビルの陰に入って寒さをしのぐ。定刻より少し遅れて、ライトを付けたバスが到着。三重会館の南にある米津が始発なので、すでに乗っている人もいて計11人で発車した。山間部のバスにはいなかった若い人もいた。


2車線になった国道23号は流れが悪くなり、ノロノロ気味に。テールランプの列がずっと先まで続く。沿道は吉牛、サイゼ、かっぱ寿司とロードサイド店が大集合。暮れた街をこうこうと照らす。広島だともう少し郊外に行かないと見られない光景だが、津では市街地の隣がこんな感じだ。ロードサイド店の向こうは住宅地だったのでどんどん降りていくだろうと思っていたが、中々押しボタンがつかない。


白塚口で国道を左折して伊勢別街道に入ると、店が減ってあたりは真っ暗に。クルマも減ったので一気に流れるようになった。それでも降りる人がいなかったが、一身田で紀勢線をまたいだ先、西睦合で1人降りたのがアリの一穴になったのか、少しずつ降り始めた。


登り坂になり、エンジン音が甲高くなってきた。上の方にオレンジ色の街灯が見えてきて伊勢道をくぐる。このあたりからが旧芸濃町だ。


外を見ると中古車屋ののぼりが激しくはためている。外は相当寒いようで、窓のすき間から冷たい風が入ってくる。新屋敷で細い道に入り、旧町の中心部?へ。店の軒先を2,3回曲がって着いた空き地?が終点の椋本だった。どこかに車庫とかあるんかなあ。驚くべきことに総裁を含めて5人が乗り通した


写真のようにまったく明かりがなく、バスの車内灯だけが夜空に浮かび上がっていた。


11.椋本19:04→19:25亀山駅前(三重交通)亀山駅前
09021002

(運賃は360円)

(順に1,2の地図をご参照ください)ラストランナーとなる亀山駅前行きはすでに待機していた。別の方の旅行記では中型バスだったが、きょうは小型車のリエッセ。客は総裁1人だけだ。これで事足りてしまう利用状況ということか。


中型車では窮屈だった椋本の市街地も、リエッセならラクラク。亀山に向けて北上する県道もゆるやかな坂・カーブが連続するがスイスイ走り抜ける。前を行くトラックが邪魔に思えるほどだ。


再び合流した伊勢道をまたいで亀山市に入ると、だいぶ家が増えてきた。阿野田口からはマンションもちらほら。長い橋で鈴鹿川とJR関西本線を渡って別の県道に出るとロードサイド店が林立し、急に周りが明るくなった。光の帯に見送られるように亀山駅前へ到着。最後まで貸し切り状態だった。きょう最後のバス旅は拍子抜けするほどあっけなく終わった。




09021005これで天理-亀山間が名阪国道を使わずにつながった。総裁の広島-東京旅では天理の翌朝には亀山までたどり着けたので(このへんこのへん参照)、今回のルートなら1日余計にかかる計算。それでも今にも途切れそうな、細い細い線をつなげられた喜びの方が大きい。きょうもバスによく乗った。


なお、亀山市HPの地域公共交通会議資料によると、椋本亀山線は存廃について同様に補助金を出している津市と協議中のよう。津市「コミュニティ交通の運行計画(案)」でも「現在検討されている亀山市の地域生活交通の再編方針により、現行の維持方式を継続することが難しくなることが予想されている」とある。2009年度は暫定的に運行が続くようだが、このルートはもう賞味期限が短いのかもしれない。


もし椋本亀山線が廃止になった場合は、津駅から鈴鹿市内の太陽の街行きバスに乗って、鈴鹿市C-BUSに乗り換えとなる。実は今回太陽の街経由も考えた。しかし津駅から1日2本しかなく、久居発のバスにつながらないことが判明。椋本回りになった。椋本亀山線は現在1日10往復もある。住民のためヲタのため、廃止になっても代替手段を残してほしいと思う。




「名阪国道を使った」という後ろめたさから解かれ、胸のつかえが1つ取れた。晴れやかな気持ち。さあ帰ろう。


本当はバスを駆使したいところだが、大阪発広島行きの夜行バスに間に合わせるためには亀山からだと余り選択肢がない。逆にスローとは正反対にしてやろうと、JR→近鉄特急を使うことにした。近鉄だときょう通った久居、名張、榛原、桜井を通るし。

09021003

ちょうどあった紀勢線の多気行きで津へ。バスで1時間の道のりをキハ11は十数分で駆け抜ける。ローカル線とはいえ、やっぱり鉄道は速い。

09021004

日本一短い駅名に敬意を表して津駅を撮影。近鉄のきっぷを買ったら特急券コミで2920円だった。1人打ち上げのためにビールやおつまみを買い込んで、肌寒いホームへ。次から次へと来る電車を見送り、いいかげん冷えてきたころ、20:21、オレンジと藍色の特急が滑り込んできた。いつもなら見送る電車に、きょうは胸を張って乗り込む。


まずは乾杯!ビールが全身にしみわたる。シュワシュワと幸せに包まれている間に久居を通過。伊勢中川を過ぎると車窓の明かりがぐっと減って、山陽本線に乗っているような気分になる。20:54には名張に到着。半日かけた距離をたった30分で戻ってきたのだ。まるでビデオの巻き戻しだ。


朝10時にいた榛原は21:10に、朝8時半にいた桜井は21:20に通過。桜井から先は沿線に人家が続くようになってきた。天理からのバス旅を思い出しているうちに長いトンネルを越え、視界に大阪の明かりが飛び込んできた。


難波には21:53着。長い夢から現実に戻る1時間半だった。そして、速い乗り物を使ったからこそバス旅の心地よいスローさがあらためて分かった。特急で行ったら、桜井の街並みも、榛原のミスドも、香落渓も、名松線、久居のガラス張り待合室も見ることはなかったのだから。


普段着の奈良・三重にどっぷり浸かった一日、これにて終わりです。
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広島発 バスに揺られて(番外編5) 

8.竹原16:10→16:55久居駅(三重交通)久居駅
09020901

(運賃は790円)

(順に1,2,3,4,5の地図をご参照ください) 伊勢竹原駅からバス乗り場に戻った。間もなく折り返し久居駅行きになるバスがやって来て、駐車場の端っこに止まった。ウテシは駐車場にいた男の人と談笑している。同僚か顔見知りだろうか。そこへ幼稚園バスが到着。子どもが降りて、男の人と帰って行った。


その後はさっき乗ったバスが丹生俣行きとして戻ってきて、すぐに発車。またあたりが静まりかえった。16:05ごろになって久居駅行きがエンジンを始動。乗り場にやって来た。方向幕は前も横も「久居駅」とだけ書かれている。車内のウテシ席後ろのボードにも方向幕があったが、ここも「久居駅」だけ。三重交通旧型車独特の仕様を見られて良かったが、あまり活用されていなくて残念だった。そんなにマイナーな系統なんだろうか。


竹原からは総裁1人だけ。家城まで来るとだいぶ家が増えた。わざわざ住宅地の細い道を回るのだが、乗ってくる人はいない。「ビッグバン」というミレニアムな名前のパチ屋前で再び県道に合流。この路線はいつも同じウテシなのだろうか、工事現場の誘導員が親しげに手を振っていた。


日は傾き、道路沿いの田んぼがオレンジ色に照らされる。また名松線の線路を渡って細道に入り、家城橋でようやく2人目の客が乗ってきた。また県道に戻り、しばらく先の上井生で再び住宅地に入って集落をトレース。名松線をまたまたぎ、大仰から小高い場所に出ると遠くに海が!! そう、きょう初めて陸の切れ目に出会ったのだ。遠くにはぼんやりとビル群も見えた。


井関からさらに坂を登って高野団地を経由。久々に人通りがあって街に帰ってきたんだと実感する。団地を下りると左側から近鉄の架線柱群が近付き、対向車も増えてきた。伊勢自動車道をくぐって、ぐいと幅が広がった雲出川を渡ると、もう久居の市街地だった。


桜井を思い出させるような古い街並みをゆっくりと走り抜ける。旅籠(はたご)町なんて歴史を感じさせるバス停を過ぎたら、もう駅前。年季の入った市街地から一転、ガラス屋根が目立つ、現代アートみたいなバス乗り場だった。(wiki中のこの写真をご参照ください)


9.久居駅17:02→17:36津駅(三重交通)16上稲葉 久居駅  津駅
09020902

(運賃は390円)

(順に1,2の地図をご参照ください)バス乗り場にはガラス張りの待合室があった。中に入ろうとしたが入口が見当たらない。と、「→」のシールが貼られたガラスを発見した。「さては→の向きに動かせばガラス戸が動くのか」と判断。ウーンと押すが動かない。あれ?


→は入口の方向を示していただけで、すぐ目の前に誰が見ても入口と分かる扉があったのだ。総裁は動かないガラスを一生懸命動かそうとしていたのだ。中から見ると不審人物以外の何者でもない。あー、恥ずかしい…。。


次のバスは久居駅から10kmほど西側の榊原車庫発。駅に着くと客のほとんどが降り、久居からは5人で発車した。駅前を右折して北へ向かう。ちょうど「津5km」の標識があった。車内を見回すと「バスの安全度はマイカーの878倍」という広告があった。年間事故者をそれぞれの利用者で割った数で算出しているようだが、何かこう必死だなあ。


久居の市街地を抜けると典型的な郊外国道に。右側を並走していた近鉄線を中青谷でくぐり、阿漕(あこぎ)手前でJR紀勢線をまたぐ。信号待ちの渋滞を経て国道23号に合流。広島-東京の旅で通った、あの名四国道になる道である(このへん参照)。ズバンと片側3車線に道が広がり、都会的な眺めに一変した。考えてみれば6車線道路なんて今日初めてだ。


津市中心部に入るとさらに4車線に広がった。そして三交本社がある三重会館で、何と十数人が一度に乗ってきた。立ち客が出たほど。津は鉄道が内陸側を通り、中心市街地は鉄道と海の間に拓けた。市役所や裁判所、デパートがある三重会館周辺は駅から遠く、公共交通だとバス利用になるのだ。(三重会館の外観はこんな感じ。wikiより)


駅に近付くとかえってビルが少なくなっていった。県庁前を過ぎて道路幅が狭くなったところで左折。日本一短い名前の「つ」駅に着いた。




09020903次のバスまで35分あるので駅ビルのカフェで一息。ここで粘ろうと思ったが、帰宅時間帯のため店内は右も左も学生でとても落ち着ける雰囲気ではない。適当に退散して乗り場の前で一服することにした。学生がいるからこそ成り立っているバス路線もたくさんあるが、いざ一緒になるとたいぎい。


竹原-久居駅で乗ったバスは三重交通が2006年、廃止の意向を示した。県の第三種補助が期限切れを迎えたため。その後津市自主運行バスとして存続し今に至る。前回更新(このへん)で触れた津市「コミュニティ交通の運行計画(案)」では幹線交通に位置付けられた。当面は安心して良いのだろう。


ちなみにこの路線は「多気線」という。総裁愛用のアトラスRDX東海06年版にも竹原から奥津・丹生俣へ一般バス路線を示す波線が延びている。そう、かつては美杉村の多気までちゃんと三重交通の一般路線バスが走っていたのだ。三重県HP中「知事と語ろう本音でトーク 平成16年(2004年・総裁による注)度第5回」によると、当時の美杉村で村民と知事の間でこんなやり取りがある。カッコ内は総裁による注。


村民「(前略)数年前までは、津まで、三重県会館までのバスがありました(後略)」
知事「(前略)平成10年(1998年)3月まで、津の三重会館行きのが、これは丹生俣から出ておったんですね。そうですね。それが廃止をされた。それでは村のほうで何とかしなきゃいかんということで、4月からは竹原まで行く自主運行バスを運行しておる(後略)」


名松線という名前が国鉄の夢の名残りであったように、多気線も三重交通の夢の跡だったのだ。路線名に歴史アリ。

広島発 バスに揺られて(番外編4) 

7.奥津駅前14:50→15:42竹原(美杉コミュニティバス)上多気(資)
09020804

(運賃は900円)

(順に1,2,3,4,5の地図をご参照ください)今回乗る竹原・一志病院行きはちょっと複雑だ。津市HPの路線別時刻表では「竹原行」となっていて、実際に1台のバスが竹原・一志病院まで直通する。しかし、奥津駅前のバス停時刻表では竹原行きになっていないのだ。


原因は2つの路線をまたぐイレギュラーなルートを走るため。美杉コミュニティバスの時刻表は路線別に発車時刻が並び、この竹原行きは本来竹原へ行かない路線の場所に何の注釈もな書かれているのだ。しかもタチが悪いことに別路線の竹原・一志病院行きもあり、きょうの竹原行きが既に終わってしまったかのように見える。やってきたバスの方向幕も「上多気(資)」(途中にあるふるさと資料館を指すと思われる)。これはちょっと不親切だ。


総裁は事前に調べていたから自信を持って乗った。しかし、発車直前に到着の名松線から降りてきた女の子は時刻表とにらめっこした挙げ句乗らなかった。ウテシも声を掛けようとしていたが、先に女の子がどこかへ行ってしまった。あーあ。


見た目は普通の三重交通バスだが、整理券も車内放送も運賃表もない。典型的なコミュニティバス仕様。HPに運賃がなく、当日運賃表を見ればイイやと思っていたが、これではウテシに聞かないと分からない。「竹原までですがいくらでしょうか?」と聞くと「えーっと」と三角表を取り出して調べてくれた。900円はちょっと高めだが、これだけ山深い場所で1時間も乗るんだから仕方ないのだろう。


不意に「竹原からはJR?」と聞かれた。ここで「バスに乗り継ぎです」なんて答えると救いようのないヲタみたいだし、説明がたいぎいと思い「違うんですけど、まあ、色々と」などとお茶を濁した。ウテシは怪訝な表情でブツクサつぶやいていた。今になって思えば、これではかえって不審人物だ。堂々と言って色々話を聞けば良かった。反省。


奥津駅前より前から乗っていた1人と総裁の2人で発車。駅前の狭いT字路に出て名張とは反対側へ左折、名松線を渡って再び伊勢本街道(国道369号)と合流する。小学校の横を通り、ぐいと北へ曲がる名松線を今度はまたぐ。傾斜がきつめの飼坂峠を軽快に登ってトンネルを抜けた先が多気(たげ)地区。戦国時代に伊勢國を支配した北畠氏の本拠地があった場所だ。


「7つの峠を越えないと入れない」要害。物流ルートだった伊勢本街道を抱えていたこともあり、城下町は栄えて最盛期「山中に都あり」と称されたという。しかし世の中が平和になると不便さがあだになり、発展から取り残された。現在も東は酷道、南は未開通国道、北は険道で、西だけがトンネルで通りやすくなった程度。こんなところに城を築いたなんて現代の技術でも想像がつかない。


バスは上多気の交差点で北へ左折。道幅の狭い、昔ながらの街並みを行く。ふるさと資料館で旧美杉村の南端・丹生俣へ行くハイエース(一応コミュニティバス)とすれ違う。ハイエースかあ。こちら側のウテシが手を振る。北畠氏館跡である北畠神社の脇を通り、野登瀬を過ぎると家並みが途切れた。


八手俣川沿いの狭い道をしばらく走って、やっと次の集落へ。昭和の大合併までは北畠神社のあたりが多気村、ここからが下之川村だった。それなりの集落で家もちらほらあるのだが乗り降りはまったくない。下之川地域センターでは敷地内の駐車場までわざわざ回るが誰もおらず。下中村でもう1人の客が降りてからは本当に寂しくなった。山口でバスに犬が近寄ってきたのが妙に愛おしく思えた。


再び集落が途切れ、ぐねぐねとした細い道になる。左下の川は、よく見ると流れが止まっている。どこかで見たような光景…やっぱり、ダムだった


1972年完成の君ヶ野ダム。そして名張-奥津のバスとは逆に、天端からダム下の川の高さまで猛烈なヘアピンカーブをくるくる回り、一気に下る。思わず握り棒を持つ手に力が入った。少々の酷道・険道でも中型車を走らせる三重交通が、小型車をこの路線に充てたわけだ。これはリエッセじゃないと無理。


であいの館、なる怪しげな建物に「?」と思っていたら、左に名松線の列車が見えてきて竹原駅。その次が総裁の下りる竹原だった。紀伊半島の屋根から下りられたのだ。ふう。奥津からここまで1時間。ちなみに山の向こうを走るJRだと23分で来られる。ローカル線の代表格ともいえる名松線がまるで高速鉄道のよう。バスの旅はそれだけスローなのだ。気付いたら方向幕は「一志病院」に変わっていた(笑)


恐るべきことに、ここはまだ旧美杉村だ。広いのう…。




09020806次のバスまで30分あるのでウロウロしてみた。バス停は竹原コミュニティー防災センター、特産市場が並ぶ地域拠点の一角にある。広い駐車場があり「さわやかトイレ」なる建物も。中はこぎれいな普通のトイレだが、個室に張り紙があった。


「紙を持ち出さないで下さい。これ迄にも紙を持って行かれた方が有りましたが、交通事故や一週間以内に不幸に遭遇された方 決して少なくありません。皆さまの御無事をお祈り申し上げます。紙は神様」


って、全然さわやかじゃないじゃん!!! 腹に据えかねているのは分かるけど…。このトイレはスチール棚も盗まれたようで、こちらの「返してください」貼り紙には呪いの文言はなかった(^^;


バス停から2,3分歩いて伊勢竹原駅へ行ってみた。クルマが何台か止まっていたので「もしや」と思ったら案の定、伊勢奥津行きの列車が到着。高校生が何人か降りていった。

09020805

駅舎は相当年季が入っていて、同い年ぐらいの大木がよりかかっていた。「伊勢竹原駅」の文字は紙ではなく、タイルに書かれている。開業した1935年当時のモダンがこんなところに息づいていた。待合室以外は使われておらず、出札窓口らしき場所はシャッターが閉まっていた。駅前には古い家が並び、戦前にタイムスリップしたかのようだった。




津市交通政策課は2008年8月、合併前からそのまま引き継いだ地域生活バスの再編を目指し「コミュニティ交通の運行計画(案)」をまとめた。


計画では、美杉コミュニティバスは現在の川上・奥津-旧役場-竹原(1日5本)、丹生俣(にゅうのまた)・奥津-下之川-竹原(1日6本)の2系統を統合して循環路線に変更。右回り左回りそれぞれ1日4本運行する。竹原では一志病院・近鉄榊原温泉口駅方面とを結ぶ白山コミュニティバスと接続する。また枝線となる川上、丹生俣地区は1日1往復のみとし、ハイエースでの運行は止める。(なお、パブリックコメントで個別ダイヤの改善や丹生俣地区の日中便確保を求める意見が出た)


「観光客にも利用しやすいダイヤなどの見直し」「民間路線バスとの接続を図る(意見募集を経て『配慮する』から『図る』に変わった)」をうたっているので、本数が減っても著しく不便になることはないだろう。せっかくなので名張方面との接続も配慮してくれたらうれしいな(希望的観測)。


ともあれ非名阪国道で関西-中部の路線バスをつなぐ唯一のルート。4月からの新体系に注目だ。

広島発 バスに揺られて(番外編3) 

6.名張駅前13:00→14:10奥津駅前(三重交通)31奥津駅前
09020801

(運賃は1010円)

(順に1,2,3,4,5,6の地図をご参照ください) 伊勢湾岸の松坂から内陸へJR名松線という鉄道が延びている。「名松」の松は松坂だが、沿線を見ても名にあたる地名はない。実は名張のことで、同じ盲腸線の旧可部線、錦川清流線同様に途中までしか建設されなかったのだ。今回乗るバスはその名張から名松線の現終点・伊勢奥津へ行く。鉄道建設の夢の跡を結ぶ路線なのだ。


バス待合所へ行くと爺さん婆さんがずらり。あと若い衆も結構いてベンチが一通り埋まるほどだった。名張からの奥津行きは1日2本。客は少ないだろうとタカをくくっていたが、バスが着くとベンチの人々が一斉に立ち上がった。平日昼間としては大入りの20人を乗せて発車した。みんな顔見知りらしく、周りの客に次々と声を掛けている。このバスが貴重な「井戸端」らしい。


最初は曽爾からのバスが来た道を引き返す形。夏見で3人乗る。ここで皇學館大学のスクールバスとすれ違った。さっきの若い衆はこれの折り返し便に乗るようだ。


夏見で曽爾への険道とお別れ。下比奈知で狭い街路に入り、民家の軒先をかすめる。途中には団地もあったが誰も降りる気配もなく、アナウンスだけが流れ続ける。一瞬2車線道路に出たのも束の間、滝ノ原口からまた細道に入る。そして上比奈知で目の前が灰色に染まった


ダムだ


あまりの巨大さに思わず息をのむ。地面にべったり張り付いた集落を築いたのも、灰色の壁を築いたのも同じ人間。その落差に思わず「はあー」と声を出してしまった。バスは天端(=てっぺん)の高さを目指し、エンジン全開でグネグネ道を登る。一気に高度をかせぎ、眼下の比奈知集落が模型みたいに小さくなったところで国道に合流した。道路脇の気温計は5度。


ここからはトンネルや歩道がしっかり整備されたダムの付替道路。濃い緑色の水面が広がるひなち湖を右手に、2車線の快適道をゆっくり走り抜ける。比奈知集落を出て15分、前のバス停を出て10分、やっと民家が見えてきた。付替区間が終わった横矢橋で再び道は狭くなり、やっと最初の下車客。沈下橋のある糀屋前で3人、長瀬局前でも2人とどんどん降り始めた。


そして道路もどんどん悪くなってきた。布瀬橋のきつめのカーブで対向車を待ち、ぎりぎりバスが通れる道幅を登っていく。狭いくせに交通量が多いし、対向車待ちのバスを抜かしていく不心得な一般車もいたりして難儀する。大戸屋口の手前では窓をこすりそうになった。抜群の車両感覚がないとこの路線は運転できない。乗っている総裁の手に汗握る。


そんな中、津市(旧美杉村)に入った。もっとも市街地までは直線でも35km離れていて、県庁所在市内とは思えないほど。平成の大合併で多くの自治体が無理をした一例だ。


合併したからといって道路事情が急によくなる訳もなく、相変わらずのヘロヘロ道。飯垣内でセンチ単位の離合を突破し、下太郎生(しもたろう)でやっと津市最初の集落が見えてきた。もっとも民家の軒先が道路に出ているので離合の難易度はさらにアップするわけだが。


太郎生殿橋あたりから旧道に入る。相当山深い場所だが断続的に集落は続き、太郎生で残り半分ぐらいの乗客が降りた。よく見ると谷をつなぐ橋の向こうにも集落がある。中太郎生では寝ていたおばちゃんが慌てて起きて下車。外は日差しが戻り、車内はぽかぽか暖かい。平日だというのにライダー集団とすれ違い、上太郎生でさらに狭い道に入るが、もう驚かなくなった(笑)


坂を登り切ったところで「奈良県」の標識が現れた。


ん、奈良県??


そう、旧美杉村の南西に奈良県御杖村が食い込んでいるのだ(このへん参照)。地形の関係で、太郎生から旧村内の他地区へは奈良県内を通った方が早い。平成の大合併の時は太郎生の人たちが名張市への分村合併を求めて議会に住民発議を起こしたほどだ。間もなく午前中通った国道369号(伊勢本街道)の続きと合流した。


久々に信号があった国道交差点脇が敷津。名張から1日4本ある区間便の終点で、三重交通の車庫もある(wiki中の写真参照)。このバスに接続する御杖村営バスが入口を開けて待っていて、ここで総裁以外の全員が降りた。


2車線道路に出た!と安心したのも束の間、三重県津市に戻るとまた道が狭くなった。払戸まで来るとまとまった数の家が建ち並ぶようになり、狭い路地を左折したらそこが伊勢奥津駅だった。曽爾-名張もそうだったが、名張あたりでバスウテシをしようと思ったら、よほど腕が確かでないと勤まらない。プロのドライバーは凄い。


乗ってきたバスは折り返しの名張行きになるか、敷津へ回送するものと思っていたら「飯垣内」行きに変わった。名張市から津市に入った直後にあったあのバス停。何と名張駅発だけでなく、奥津駅発の区間便もあったのだ。逆向きは調べておらず、これには驚いた。




09020803 同じく盲腸線だった旧可部線三段峡と違って、伊勢奥津にはこれといった観光地もない。本当に何もない場所だと思っていたが、駅舎は駅と行政施設が一体になった真新しい建物だった。

少し立ち止まってみた。しーんとしていて、耳に入るのはザーッと風がそよぐ音と鳥の鳴き声、そして遠くから聞こえる川の流れだけ。人工的な要素は何一つない。胸一杯空気を吸い込む。つい1時間前まで本当に街中にいたのだろうか…なんて気持ちになる。同じ空の下、総裁の職場ではみんなアクセク働いている時間だ。


待合室には駅ノートがあった。最初はここまで来た足跡を残そうかと考えたが、パラパラめくると名松線に乗った感想がほとんど。総裁と同じバスで来た人もここから列車で下ったようだ。バスだけの旅で立ち寄った人間が書くのはどうもバツが悪い。パスすることにした。


そんなとき駅に婆さんがやって来て「名松線の時刻はどこに書いてんの?」と聞いてきた。総裁が時刻表を指さすと、じっくり眺めて帰って行った。やはりお年寄りには公共交通機関が欠かせないんじゃなあと思ったが、時刻を知らないということは普段乗っていない証拠でもある。何だか切ない。

09020802

ホームに出ると、古めかしい給水塔が残っていた。2月のやわらかい日差しは心地よく、待合室より外の方が過ごしやすい。バス停に戻って待つことにした。




前述の御杖村営バスは曽爾-名張で通った掛西口と敷津を結び、実は総裁が使ったルートをショートカットしている。両端で三重交通か奈良交通のバスに接続するダイヤ設定で、今回も掛西口で1時間半待てば、敷津で奥津駅前行きに接続するバスに乗ることができた。


ただ、敷津方で名張発着便にしか接続していない。活用できる便は限られていて、現行ダイヤでは掛西口12:53→敷津で今回乗った奥津行きに乗り換える、奥津14:52飯垣内行き→敷津で1時間50分待って村営バス→掛西口で奈良交通に乗り換え、の2パターンぐらいしか使いようがない。少しイジるだけでどうにかなりそうな感もある。うーん。

広島発 バスに揺られて(番外編2) 

4.榛原駅10:15→10:51山粕(奈良交通)27曽爾村役場掛西口経由
09020701

(運賃は860円)

(順に1,2,3,4の地図をご参照ください) 乗り場には随分たくさんの婆ちゃんたちが待っていた。これはにぎやかな旅になりそうだと思っていたら、みんな温泉施設の送迎バスに吸い込まれていった。そして試験シーズンなのか、発車間際に今度は高校生の大群が押し寄せてきたが、これまた乗ってきたのは1人だけ。何だか拍子抜けしっぱなしだ。全部で5人が乗って発車した。


駅前を左折して東へ、伊勢本街道である国道369号を走る。小振りなバスと乗用車がやっと離合できるような、いかにも旧街道らしい市街地を丁寧に走り、近鉄線直前で南へ曲がる。谷間をぬう道路はセンターラインが現れたり消えたり。坂を上るたび、両側から山が迫ってくる。タイヤチェーン携行を呼び掛ける看板もあり、雪が積もるとオオゴトになりそうだ。そういえば雲行きが怪しくなってきた。


2車線が続くようになったなと安心していたら、高井からは国道を外れ、集落があるさらに狭い旧道に突入した。対向車が来たら完全にアウトな道幅。よりによって路駐車がいたが、ベテランウテシのハンドルさばきで華麗にスルーした。国道に戻れたのも束の間、また旧道に入り、今度は見通しが悪いカーブも難なくクリアした。


内牧西口からも狭隘路に入り、1台目の路駐車は通り抜け、2台目はクラクションでサッと追い払った。バスは2車線道路と同じスピードでぐいぐい突き進んでいく。朝から大型二種免の技に魅せられる。


狭隘路中の内牧で1人下車。榛原からの区間便がある上内牧を過ぎると民家が途切れ、坂が一気にきつくなってきた。桜井から400m以上登り、弁財天トンネルの手前で旧道へ。弁財天で久しぶりの集落と、久しぶりの対向車に出会う。向かいの家のマイバス停みたいな上田口弁天で時間調整。相当山深くなってきたがまだFOMAが入った。


再び国道に合流、06年開通のバイパス区間を行く。旧道を回らないということは、弁財天あたりが宇陀市最後の集落なのだろう。「次は高石」のアナウンスとともに運賃が一気に600円台から800円台にアップした。まるで県境を思わせる長い長いトンネルを抜けてやっと曽爾(そに)村。随分遠くまで来たが、まだ奈良県だ。


次は三重交通の山粕西発名張駅行きに乗る。奈良交通も山粕集落を通るのでどこかで乗り換えられるはずだが、事前の調べでは、奈交と三交は集落内で通る道が違うらしい。結局山粕西へはどこで降りればいいかイマイチ分からなかった。仕方ないのでじーっと右側を見ていると4ヵ月前の東京行きバス旅で何度も見た青い丸のバス停が見えた。ここだ! すぐにボタンを押す。バスは4度目の狭隘路に少し入った場所で止まった。

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今にも雨が降りそうな雲行き。榛原より明らかに風が冷たい。さっきのバス停は…と国道に戻って周りをよく見るとさっきの青い丸と、バス車庫らしき小屋が見えた。乗り継ぎ時間が10分程度しかなく不安だったが、無事つながった。山粕西バス停は人家が並ぶ一帯の端っこにあった。


5.山粕西11:00→11:55名張駅前(三重交通)21太良路方面 名張駅前
09020703

(運賃は950円)

(順に1,2,3,4の地図をご参照ください) 先ほどのトンネルが生活圏の境目だったのだろう。まだ奈良県だが、ここからは三重交通のエリア。三重側へ行く便数の方が多い。


車庫に行くとバスが入口を開けて待っていた。山間部の路線。奈良交通側はここ専門といった感じのベテランウテシだった。対して外に出てひと休みしていた三重交通のウテシは若手。クルマも大きく、ここからは狭い道を通らない? しばらく三重交通のバスに乗るので3000円のバスカードを買った。


寒いので、一服後すぐに車内に入った。結局総裁の貸し切り状態で発車。バス停のたび「お降りの方はお知らせください」という台詞が入ったアナウンスを聞くと「ああ、三重交通だなあ」と思う。


さっき降りたバス停がある旧道へは行かず、新道をゆっくり北東へ。山粕東口で奈良交通・三重交通の路線が合流する。掛西口は2社のほか隣の御杖村から村営バスもやってくるのでバス停が3つ並ぶ。ここでケータイ片手に若い衆が1人乗ってきた。


ここから集落の細い道に入り、2社でバス停の位置がちょっと違う長野から若い女性が1人乗ってきた。山粕西を出て10分ほどで役場前を通過。さらに道がギュッと絞られた先の空き地でさっき乗ってきた奈良交通のバスが休んでいた。


曽爾高原への分かれ道を過ぎ、方向幕に書かれた太良路にもう着いた。何だ、楽勝で名張に行けそうじゃん…その考えは甘かった


弁天前からセンターラインが消えたり現れたりと予兆はあった。小太郎岩あたりで地形が険しくなり、
断崖に何軒かの小料理屋がへばりつく落合で三重県入り。ここから険道が牙をむく


だいぶ道幅が狭まっていた県道がさらに絞られ、ガードレールもなくなった。付近は香落渓(かおちだに)という観光名所。赤茶、緑の山肌と奇岩が織りなす自然美に心癒されるが、ギリギリの離合で手に汗握るシーンも続く。運転する方も乗る方も落ち着いたりハラハラしたり。もう脳内アドレナリンが止まらない。かなりの絶景路線だが、紅葉シーズンは間違いなく修羅場だろう。


対向車に待避所までバックしてもらったり、工事現場に停まったダンプを四苦八苦しながらやり過ごしたりして、ようやくピークを越えた。ペンションがある香落橋あたりで左側の川幅が少しずつ広がり、視界が一気に開けた。青蓮寺湖だ。ダムに沿った道なのでこれまで同様にぐねぐねした道だが、気持ちが軽やかになる。


空色の青蓮寺橋が見え、真っ赤な弁天橋を渡るとやっと険道区間が終わる。もう何回カーブを曲がったか分からないぐらい。市街地が見えてきた。「皇」という字が入っていて高校時代強く印象に残っていた皇學館大学の入口を通り、夏見まで来たらもう「都市」の趣きだ。近鉄が昼間でも1時間に3本急行を走らせ、大阪のベッドタウンとなっている名張。その街の近くにこんな秘境があり、そして平日7往復もバスが走っていることは衝撃的だった。


駅までの55分がその何倍にも感じられた路線。いずれも曽爾村から乗った5人が最後まで乗り通した。ウテシの技にひたすら感謝。




09020704クルマがびゅんびゅん走り、人通りのある街並みを見ると、さっきまで山奥にいたのがウソみたいだ。


お昼時。険道にハラハラして力が入った分、普段以上に腹が減った。駅前に食堂があったがイマイチそうなのでパス。少し歩いて「ランチ690円」の看板を出していたホテル1階のレストランに入った。五目豆腐、刺身、すじ煮込み、ごはん、味噌汁と充実の中身。店内はにぎわっていて、関西弁が飛び交っていた。ここは旧伊賀国。三重県といえども関西圏なのだ。


なお、前述の県道曽爾名張線は2008年10月に落石があって一時通行止めになった。09年1月に片側交互通行で復旧したが、その間曽爾行きのバスは紅葉時期のみ運行の赤目口-曽爾のルートへ迂回したという。あちらの曽爾名張線以上に道が狭いそうでウテシの苦労がしのばれる。以前も市街地に近い場所で落石があったらしい。


また、紅葉時期は押し寄せる観光客に対応するため増便があるほか、2台体制での運行もあるという。道幅を考えると中型車ぐらいが妥当っぽいが、運用と多客対応を考えて大型車を走らせているのだろう。
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