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ゲリラ雪

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下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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甲浦→牟岐 バス時刻表 

先ほど無事広島へ帰りました。松山からのフェリーは体育会系大学生でなかなかの混雑。じゅうたん席に気合いで横になりましたよ。


四国旅行中、途中立ち寄った甲浦で牟岐方面行きバスの時刻表を撮影しました。案の定ネットでは掲載がないようなので貼っておきます。今後バス旅をされるどなたかのために。。

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徳島にて 

徳島からおはようございます。いま四国を一周している最中です。


ごめん・なはり線で夕日に感動し

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かずら橋に恐怖し

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世界一のモノレールに乗りました!!

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最大斜度40度、標高差600mはスリリング。

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もちろん乗りバスもこってりやりました。更新はしばらく先になりますがご期待いただければと思います。
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北海どう(道)でしょう10 

いよいよ獄中です


網走監獄では実際に使われた獄舎もそのまま移築されています。建物は「米」を上半分に切ったカタチで5方向に通路が延び、根元に全体を監視する場所があります。建物の中はえもいえぬ臭いが漂っていました。何千人もの受刑者が何十年にも渡って寝起き、食事、用足しをした人間の全ての臭いが凝縮されているのです。(写真は監視所から通路を見た様子)

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雑居房、独房で通路は分けられていて、いずれも天井が高く、まるで洋画に出てくるアメリカの刑務所みたいです。総裁が以前見学した刑務所は、天井の高さは普通の学校程度でした。網走の獄舎は一見開放的ですが、吹き抜けは空調の暖気が回りにくくとても寒いといいます。受刑者は震えながら眠ったのでしょう。

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雑居房の広さはこれぐらい。6畳間です。

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通路とを隔てる格子には仕掛けが。|||||||と正面向きではなく、//////と斜め向きに格子が立てられています。通路を歩く看守から見やすく、向かい側の受刑者どうしお互いの様子が見えないようにするためだそう。受刑者どうしが変に結託したり、不穏な空気にならないようにしたのでしょう。このアングルから見てお分かりの通り、一部の房は中に入れます。

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すいません、やってしまいました。。


気を取り直して今度は独居房。こちらは3畳分のスペース。布団を敷くといっぱいいっぱいです。

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独居房は何か悪いことをしたり、雑居房で生活できない人が移される場所です。もし独居房でも悪いことをしたらどうなるか? その答えは外にありました。

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明治時代の懲罰房です。まず物置きのように外にあります。そして窓がありません。真っ暗な中、時には拘束具もされて過ごさなければならないのです。この孤独感は想像を絶するものがあったと思います。


そういえば独居房の写真で鉄格子が外れていますね。マナーの悪い入館者が壊したのではなく、脱獄王と呼ばれた男を紹介するためなんです。


男は別の刑務所を脱獄し、逃走罪で網走へ移送されました。後ろ手に手錠をかけられ、足かせもつけられ、食事も犬のように食べるしかない状態でした。しかし、食事の味噌汁を少しずつ手錠や足かせ、鉄格子にかけ、塩分で金属を腐食させたのです。そして誰もなしえなかった網走脱獄を果たしたのでした。


この男の話は後年ドラマ化されました。そのときの主演が旅の数日前に亡くなられた緒方拳さんだったのです。不思議な偶然です。


最後に見たのは教誨堂。受刑者が罪を償うため教育を受ける場であり、慰問公演もここでありました。もしかして八代亜紀もここで歌った?

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総裁は幸いにして刑務所に入ったことはありません。TVや映画で日本の刑務所について紹介されていますし、実際に見学したこともあります。しかし、今回陰の部分も見ることができて初めて「自分が刑務所に入ったら」をリアルに考えることができたと思います。真面目に生きんにゃあいけません。




人形がやたらとリアルな網走監獄。風呂場にいた人形はこんなところまで再現してました(^^;

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それに刺激を受けたのか、監獄近くの交差点にはこんな人形も

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一瞬本物がおるんかと思ってしまいましたよ。さらに「うわーこんなん見ちゃったよ」なモノが。

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そういえばこのおじさんは北海道が選挙区なんですよね。。


網走をこれで締めたくないので、最後にキレイな画像を。網走監獄を「出所」してオホーツク海沿いの国道に出たら展望駐車場がありました。

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まるで某映画会社のオープニングみたく、ざっぱーんと打ち寄せる波。オホーツク海が冬に入る手間に見せる最後の明るい表情に思わず見とれてしまいました。
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北海どう(道)でしょう09 

網走のあーさー

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おはようございます。北海道はきょうも雲一つない秋晴れです。まだ眠気は取れきっていませんが、この透き通る青空を見るといつもより早く脳が始動。大浴場に「ふぅー」と浸かると、疲れもふうーと吐き出せました。




きょう最初に行くのは、網走といえば…そう、刑務所です! 古くは映画「網走番外地」の影響でしょうか、マンガかアニメで網走刑務所という名前を聞いて以来、網走=刑務所という図式は総裁の心に深く刻まれていました。そして旅番組で網走に刑務所の資料館があると聞いて、是非一度行きたいと思っていました。


実は刑務所に「入る」のは2回目。以前機会あって刑務所主催の見学会に参加したことがありました。現代の刑務所と映画になるほど有名だった旧網走刑務所との比較もできそうです。


網走刑務所の博物館「網走監獄」は、本物の受刑者が入る網走刑務所から南へ2kmほど離れた丘の上にあります。刑務所が建て替わるとき、その歴史を伝えるため古い建築物をできるだけ移設して博物館にしたそう。(写真は網走監獄から見た「本物の」網走刑務所)

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やはり映画の影響でしょうか、行く途中で立ち寄ったガソリンスタンドも、

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監獄脇のみやげ物屋さんも、

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入口横の食堂も

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みんな番外地。思わず苦笑いです。さあ、いよいよ娑婆にひとときの別れを告げましょう。収監スタートです(こんなに明るく書いていいのか?)

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この後の予定もあるので、かいつまんで要点を押さえようと無料ガイドツアーに参加しました。人数が多いので2班に分かれ、総裁たちの方はベテランの方が案内役。最初から獄舎へは行かず、サイドストーリーを固めます。


刑務所と聞くと受刑者のことばかり考えがちですが、看守を始めたくさんの職員がいます。最近各自治体が誘致方針を打ち出すのは、この職員分の人口増と、それに伴うもろもろの恩恵を狙っているから。そんなことを思い出しながら、まずは官舎を見学します。


今ではとんと見かけなくなった木造長屋。1980年代まで現役で使っていたことに驚きましたが、それ以上に「!」だったのが人形。パンフレットを見て、監獄内に結構リアルな人々が鎮座していることは知っていましたが、まさかここにおるとは! 看守役はちょっと悪人っぽいです。そういえば見学会で案内していただいた看守氏もちょっと腹黒そうだったような。

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次は受刑者生活のイロハ。


網走刑務所は今でこそ懲役7,8年程度の受刑者中心ですが、かつては政治犯や凶悪犯を収容していました。設立当初は矯正というより強制収容所として機能。北海道開拓の安価な労働力として道路工事に駆り出されました。


その際は組み立て式の休泊所で寝泊まり。長い木の棒を枕にし、朝になると看守が木をゴンゴンやって受刑者を起こしたそうです。人権なんてあったもんじゃありません。

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今のように重機がない時代。クマに襲われることもあり、極寒の地での工事は困難を極めました。そして200人以上が命を失いました。だびに伏されることもなく、足に鎖を付けたまま土に埋められたといいます。最近になって鎖が付いた白骨遺体が発見されました。


幹線道路工事が終わると、労役は農業中心にシフト。自給自足を目指し米や野菜を栽培するようになりました。しかし、故三浦和義氏のそれと同じようにみえる当時の受刑者の服はかなり薄かったようです。これでは相当寒かったはず。かつては拘束具も使われていたそうです。なるほど、犯罪者たちが網走刑務所を恐れたわけです。

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最近犯罪者に対する厳罰化の流れが進んでいます。今までが被害者軽視だったことは間違いなく、その思いが判決に反映されるようになった点はいいことです。当方も「犯罪者はしっかりシゴウするべき」と考えていました。


しかし、厳罰化の行き着く先を網走刑務所で見ました。このままの流れで本当にいいんだろうか。北海道開拓の裏にある悲しい歴史に触れ、うーんと悩んでしまいました。
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足元エクスタシー 

総裁、初体験しました。

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5本指くつ下~!!


会社の上司や友人に薦められ、買ってしまいました。これがなかなか気持ちいいんです。普通のくつ下を履いたときの、指と指がべったりとくっつく不快感がなく、裸足の時以上に指と指が離れるので血行がよくなった感じ。えも言えぬ履き心地なんです。皆さんも機会があれば是非。

北海どう(道)でしょう08 

太陽は道北の山に沈み、宵闇が迫ってきました。きょうの宿は網走。あとは走るだけといえば簡単そうですが、ゆうに200kmあります。広島から兵庫県境と同じぐらい。北海道は雄大なのです。

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明かりがまばらな仁宇布の集落はすぐに終わり、美深峠(松山峠ともいう)のてっぺん、雄武町に入ってからは一気に坂を下ります。


地図を見る限り狭隘ないわゆる「険道」を想像していました。しかし意外や意外、ちゃんと2車線あってきつめのカーブも苦ではありません。イキタライロンニエ川(標識を見て覚えられなかったので、ネットの地図で確認)という舌をかみそうな渓流に沿って下りきり、仁宇布を出て30分弱で別の道道と合流。さらに峠を越えてやっと人家の明かりが見えました。



北海道は集落にだけ家があって、間は何もない!
 ここに来てやっと悟りました。そう、中国地方みたく山奥の県境以外ずーっと家が続くのとはワケが違うのです。総裁の価値観が変わった瞬間でした。


まだまだ走ってやっと国道240号、通称「オホーツク国道」に合流。あたりは真っ暗で人生初オホーツク海は何も見えませんでした。でも何もない真っ暗なものがどこまでも続いてるさまは、ここが最果ての地なのだと思わせるには十分でした。




少しだけ北へ、道の駅「おうむ」に寄り道しました。売店は閉店。まいったなあと思いましたが、警備員さんの詰め所?でマグネットを買うことができました。

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ここのウリはスカイキャビンという展望台。7階建てビルに相当する高さだそうで眺めは…夜だからよう分かりませんでした。でも眼下の大半を占める真っ黒な海は広島界隈ではちょっとお目にかかれない風景。瀬戸内海だと遠くに漁船や島の明かりが見えますからね。


むしろロビーにあった写真に目を奪われました。

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雄武はかつて国鉄興浜(こうひん)南線の終点でした。道の駅は鉄道駅舎の跡地に建っていて、その名残を紹介する写真展が開かれていたのです。


「南」という文字が入っている通り、この路線は名寄本線興部(おこっぺ)と天北線浜頓別を結ぶはずだった興浜線の南端区間。北端の浜頓別-北見枝幸も興浜北線として開業し、北見枝幸(えさし)-雄武間が工事区間として残りました。しかし、戦争や沿線開拓が進まなかったことから建設は進まず、国鉄再建法によって1985年、南北両線は最後まで結ばれることなく廃止になりました。


もし完成していたら天北線、名寄本線、湧網線とともにオホーツク海沿いを縦貫する鉄道網が実現していたでしょう。しかし、天北など全通3線がいずれも姿を消したことからも分かるように、それは無謀な計画でした。北の大地は人の考えまでも雄大にしてしまうのでしょうか。国鉄の熱い意思を体現したかのような真っ赤な気動車と、こんなところまでいたアジ車両を見ると切なさが募りました。




次なるカントリーサインマグネットを求めて南隣の町興部へAZワゴンを走らせました。本当に人家がない地帯を抜けて道の駅おこっぺには18時半に到着。車内に怪しげな機械を積んだワゴン車を見て見ぬふりして建物に入ると…閉店!ガラガラガラガラ(ますだおかだ風)


気を取り直して一路次の道の駅オホーツク紋別へ。紋別市街地に入りちょっと街らしくなり、ロードサイド店やネオンもちらほら見かけるようになりました。ちょっと期待しましたが、道の駅はここも閉店…ガラガラガラガラ。


3時間睡眠で運転した総裁の気力もここまで。広島支部長に運転を代わってもらい、気付いたら意識が飛んでいました


このあたりは、積雪時に道路端が分かるように建てられた標識「矢羽根」(旭川-美深の回で掲載したこの写真にも写っている「↓」)がかなり狭い間隔で並び、青く点滅するんです。人の気配がしない国道で寂しくならないからいいようなものの、やっぱり不気味。朦朧とした意識に強烈に刷り込まれました。


目が覚めたら30分ぐらい経っていたでしょうか。20時すぎ、国道から少し外れた道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯に着きました。ここは温泉施設があるのでしっかり売店も開いていました。ここも国鉄駅舎の跡地を利用した道の駅。名寄本線・湧網線が分岐した中湧別駅の施設が一部残っているんですが…脳が死に絶えていたので写真を撮り忘れました。。

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出発直後に早速意識が飛び、次に目が覚めたときには網走市街に入っていました。宿泊するルートイン網走駅前は本当に駅の真ん前。21時を過ぎて総裁たちが最後ぐらいのチェックイン客だったようで、少し離れた第2駐車場に回されました。さすが連休の中日。盛況なんですねぇ。


部屋に荷物を置いて晩飯を食いに出掛けました。ところが…連休中で日曜の夜ということで、結構お店が閉まっているのです。これは困った。ならばと、ホテルでもらった「網走・オホーツクぐるめ街マップ」なるものを頼りに歓楽街へ向かうことにしました。店案内にはキャバクラっぽい店もあるんじゃん(←コラコラ)


早く何か食いたいうのう、網走は寒いのう、とトボトボ歩く総裁たちの前に網走ビール館なる建物が現れました。焼き肉も食えるらしい。魚も焼けるらしい。うん、ここだ! 即決でした。


イカやホタテをジュウジュウやりながら、ビールをぐびぐび。生き返りますなー。かくて道東の夜は更けていきました。


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北海どう(道)でしょう07 

美深トロッコ王国は1998年にオープンしました。発端は97年に始まろうとした旧美幸線のレール撤去を食い止めるため。レールを残す理由を考える中で保線用トロッコを走らせ遊覧用に乗ってもらうアイデアが生まれたのです。少しずつ知られるようになり、年間1万人以上が訪れるようになりました。線路敷地を無償譲渡した美深町を始め、JR北海道の社員も協力。地域ぐるみで「鉄路」を守っています。


トロッコは今年名寄市内の農機具会社で製造した6台を含む12台体制。ちゃあんと車庫や保守点検施設もあります。いずれもエンジン付き。ブレーキ操作を伴うため普通運転免許を持つ人のみ運転ができます。

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まずは広島支部長と入国手続き。パスポートと切符を受け取りました。別のトロッコがコースを走っているからとしばし待機。間もなく2グループが戻ってきて総裁たちの番です。総裁組以外に家族連れ1組が同じ時間帯に走ることになりました。ブルーの風よけが真新しい08年車が入線。運転方法の説明を聞いて、いざ出発です。


広島支部長がキーを回すとブブブブ、ブィーーンと草刈り機と同じ音がしてエンジンがうなりをあげました。時速15キロ程度ですが、体感速度はその倍以上。そして、風が強く寒い! 道北の山の中はもう冬の気配。事務所で借りた毛布と軍手が命綱です(ちょっとオーバーか) このバイブレーション、田舎で乗った苗を運ぶ運搬車(例えばこんなの)と同じだ!

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昔のアサヒタクシーのCMを彷彿とさせる(テレビ好きな広島県民しか分からない表現でごめんなさい)簡素な乗り物ですが、それでもレールの継ぎ目を通るとゴトンゴトンと音がして、まるで本物の機関車に乗っている気分。途中には鉄橋もあって、段々楽しくなってきましたよ。後ろの家族連れとの間隔をチェックしながらブルンブルン進みます。

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橋を越えて山々が迫ってくると周りがシラカバ林に。白く澄んだ幹が連なるさまは広島ではちょっと見られない美しさです。TVで見たカナダの景色ってこんな感じですよね。男2人「おお」と歓声を上げました。

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と、前方の路側帯にクルマが止まりました。もしや…。案の定カメラを持った大きなお友達たちが降りてきました。こちらにレンズを向けるので、総裁も負けずに応酬。撮り鉄の皆さんは結局30男二人をスルーして後ろの家族連れを撮っていました。

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森の空気を胸一杯吸い込んで、スタートから5km先の折り返し地点に到着。手作りのUターン線があり、後続のトロッコが来たところでスタッフさんがポイントを切り替えます。ここで総裁が運転席に。撮り鉄の皆さんはここにも先回りしていました。

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実際にアクセルを踏むとちょっとクセがあって、意外に速度調節が難しい。速くなったり遅くなったりしながら仁宇布に帰ってきました。森林浴で心も体もリセットできましたが、やっぱり集落が見えるとうれしくなります。家々に明かりが付き、窓からは暖かい光が漏れています。美幸線が走っていた当時、ウテシや乗客はどんな気持ちでこの風景を見たのでしょう。前の駅から14km。「帰ってきたー」と感慨にふけったのかなあ。

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1時間弱の小さな旅はこれでおしまい。総裁たちがきょう最後の出発組だったらしく、トロッコは機関車に引っ張られて入庫していきました。

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在りし日の美幸線をほんのわずかですが感じることができました。日々保線・点検に汗し、貴重な体験をする機会を与えてくださったNPO法人「トロッコ王国美深」の皆さんに感謝します。


(なお今回の更新に際して北海道新聞08年9月30日-10月2日付朝刊第4社会面連載「トロッコ力走 美深の『王国』開業10年」を参考にしました。大都市圏の公立図書館や主要大学図書館では読めますので、興味のある方は是非ご覧になってみてください)
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北海どう(道)でしょう06 

時間は13:45。広島支部長が名寄に着くまであと30分しかありません。急ぎましょう。

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和寒町をサーッと通り過ぎ、道の駅絵本の里けんぶちで3つめのカントリーサインマグネットを購入。木をふんだんに使ったぬくもりある建物で、できたての手作りパンは絶品でした。普通に旅していたら途中の町で立ち寄ることなんてなかなかないわけで、自分で巻き込まれておきながら「カントリーサイン」の威力に驚くばかりです。

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と、ここで目の前を旭川に本社がある道北バスが通り過ぎました。行き先は「2名寄」! 何と旭川-名寄を一般道で2時間以上かけて結ぶバスがあるんです!! しかもバス停の時刻表を見ると、意外に本数が多い。JR宗谷本線より便利だったりします。一部で北海道がバス天国といわれる理由が分かりました。


道央道の士別剣淵ICを過ぎると、久々にロードサイド店が並ぶようになり、士別の市街地です。人口2万2000人ほどで、広島でいえば庄原より少し小規模ですが、やはり道が広く住所は○条○丁目表記。総裁の中では「丁目」は都会だと付くもので、何だか不思議な感覚です。


あと細かい字(あざ)が余りないんでしょう。士別を過ぎてバス停名に数字が連続することに気付きました。

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北海道を開拓するとき、碁盤の目状に区画整理するとき基準線を定め、その線から何本目の道で「1線」「2線」と呼んでいます。この42線あたりから少しずつ数字が減っていって、名寄に着くころには25線とか18線になっていました。このへんの基線はかなり北にあるようです。


そんな数字ばかりのバス停沿いにAZワゴンを走らせ、名寄市に入って間もなく「道の駅もち米の里☆なよろ」がありました。今年4月にできたばかり。つのだ☆ひろや漫☆画太郎を彷彿とさせるポップなネーミング、大好きです。行政系施設って時々はっちゃけますよね(笑)


カントリーサインマグネットを探しましたが、売り場にはありません。店員さんに聞こうにもレジに行列ができていてちょっと躊躇してしまいます。結局少し待ってレジが引けたところで聞いたら、中から出してもらう形式だったよう。こういうパターンもあるんですねぇ。

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もち米の里をうたうだけあって大福の種類がとにかく多かったです。あととにかくにぎわっていたこと、やたら風が強かったことが印象的でした。大福にはかなりひかれましたが、剣淵でパンを食べたばかりなのでガマンです。


待ち合わせに遅れること40分、15時前、ようやく広島支部長と合流しました。駅の待合室で「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていたそう。広島の休日と同じことをさせてすまんこってす。。




予定よりだいぶ遅れました。道の駅びふかを回ってからトロッコ王国へ行こうかと思っていましたが、それでは閉園時間に間に合わないかもしれない。断念して直接トロッコ王国へ向かいました。


美深町に入って宗谷国道に別れを告げ道道(どうどう)へ。道道って一瞬何かと思いますが広島でいう「県道」のことです。トロッコ王国がある仁宇布(にうぷ)まで20km。道道に入って少しの間は家もありましたが、すぐに家も畑もなくなりました。人工物は道路と、一部工事された法面ぐらいです。


一部がトロッコ王国として残る国鉄美幸線はこの何もないところを走っていました。いや、曲がりなりにも国鉄が線路を引いた場所だから多少は家があるんじゃろうと思っていましたが、本当に何もありませんでした。


美幸線は美深から北見枝幸を結ぶ線として建設がスタートし、1964年に仁宇布まで開業。その先北見枝幸まで路盤の大部分が完成していました。しかし、「美」「幸」と縁起の良い語呂合わせとは裏腹に、74年度で営業係数が3859(100円儲けるために3859円の経費が必要)を記録するなど全国有数の赤字線でした。この場所を訪れて理由が分かりました。


80年制定の国鉄再建法で廃止対象に。当時の美深町長が逆手に取って「日本一の赤字線」と銀座でPRイベントを開きましたが、時代の波には抗えず、85年に美幸線は姿を消しました。仮に似宇布から北見枝幸まで延びたとしても、仁宇布の次の駅予定地まで24kmあるなど、そもそもが無理な計画でした。明治から始まった北海道開拓の、最後の夢物語だったのかもしれません。


やっと家が見えてきたと思ったら、そこが似宇布。国鉄時代のホームが残っていました。途中から道路脇に線路がありました。見ればトロッコらしきものに乗っている人がいます。あれに乗るんじゃなあ。ちょっとテンションが上がってきましたよ↑↑

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北海どう(道)でしょう05 

慣れない手つきでコラムシフトを動かし、そろそろと市道へ。まずはJR函館本線を挟んで市街地と反対側にある道の駅へあさひかわへ向かいました。このために沿道情報が充実しているツーリングマップルを買ったので、ナビのシガーソケットを抜いてi-podのトランスミッターを接続。気分良く路地を走り抜けます。

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道路は清々しいほどにまっすぐ。除雪後の雪をためられるよう路側帯がゆったりと取ってあるので、同じ2車線でも随分広く感じます。すれ違うバスは「永山6」とか「永和5-1」なんて行き先で、×条×丁目という住所表示が多い北海道らしい。何もかもが新鮮です。


道の駅あさひかわはコンベンションセンターを改装して無理矢理休憩施設にした感じ。天井が高いので売店はホテルにあるそれのようです。カントリサインマグネットは、多くの方のHPで紹介されていましたが、今も売っているかはイマイチ分からなかった。なかなか見つからずウーンと探していると…レジ近くにありました!
 まずは初カントリーサイン、ゲットです☆

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ここからは進路を北にとります。そのまま国道40号(通称宗谷国道)へ出ても良いのですが、少し遠回りすれば国道39号(同大雪国道)沿いの道の駅とうまへ行けそう。早速旭川市街地へ戻りました。


が…似た道ばっかり! そう、碁盤の目状にきれいに区画整理されている分道路に特徴がなく、自分がどこにおるんか分からんようになったのです。広い道を右折すればいいと思っていましたが、広い道が何本もあるんです。頼みのツーリングマップルは市街地の細かい地図はないし、ナビは切ってるし…うぬぬ。
(シガーソケットをi-podからナビに変えれば一発でしたが、心にそんな余裕はありませんでした)


しかもそんな総裁をさらにテンパらせるやつが出現↓
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ロータリーなんて聞いてないから!


どう通るんだっけ? 総裁、パニック寸前です。幸いほかのクルマがいなかったので無難にすり抜けましたが、少し北海道をナメていました。その後は方向感覚だけを信じて東へ行き、9条通りからどうにか39号にたどり着けましたよ。ふう。


間もなく境橋でまたいで市街地地図のエリアを脱し、広域地図がちょうど良い場所になりました。


もうすぐ市街地が途切れて道の駅とうまだ…んんん? いつまでたってもロードサイド店が続き、街が途切れません。ていうか地図上であまり動いていないんです。30分たってやっと家が途切れて道の駅とうま着。どうやら北海道の地図は本州より縮尺が大きめのようです。衝撃の事実を知ったところで、2つめのカントリーサインマグネット、ゲットです。

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今回の旅のプランニングでは、北海道道路情報総合案内サイト「北の道ナビ」を参考にしました。主要都市、港、空港、観光名所を起終点に所要時間が割り出せるサービスがあって、何と出発地/目的地候補の中に道の駅が入ってるんです。これ幸いとフル活用しました。


旭川から名寄へは道央道経由で1時間22分、一般道経由で1時間40分と出ました。18分の違いならと一般道経由と選択。このテの時間は法定速度より少し遅めで計算しているだろうとたかをくくっていました。少し遠回りしましたが、道の駅とうまからなら名寄まで1時間ぐらいじゃろう。今13時20分だから余裕じゃん。でもそれは大甘でした


国道40号に合流して間もなく主要都市までの距離を示す標識がありました。ふふん、と見ると「名寄82km」。おい、1時間じゃ無理じゃん!! 北の道ナビは実態速度に合わせて所要時間を計算していたのです。


というわけで「どうせ間に合わないや」と割り切ることにしました。広島支部長、すまんm(_ _)m


心に余裕ができたところで周りを見ると本州にはないものがありました。

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まず頭上の↓。これは蒜山あたりで見たことがあります。雪が積もっても道路の端がどこにあるか分かるようにするための標識です。宗谷国道に入るとこれがずっと続いていました。


そして道路脇の柵です。最初は何じゃじゃろうと思いました。そういえば青森や秋田でも見たような。あ、吹雪よけの柵だ! 広島に帰って調べたら大正解。これがあるとないでは全然違うそうです。


道央道の比布JCTを過ぎると家がなくなり塩狩峠。AZワゴンのアクセルをベタ踏みしててっぺんに着くと、周りの木々が一気に色づいていました。いよいよここから道北。広島より1ヵ月早く、ここでは冬のプロローグを迎えていました。目の前の道路は視界の限界までまっすぐ。普段いかにせせこましいところで生きていることか。北海道の雄大さをあらためて知りました。

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北海どう(道)でしょう04 

ターンテーブルで荷物を受け取り、ロビーへ行くとたくさんの人、人、人。連休の中日ということでいたるところにツアー客が集まり、羽田空港にひけを取らない混雑ぶりです。昨年旅した沖縄(このへん参照・これも早く完結させんと…)と違って全体的に年齢層は高め。言うこと聞かないオッさんオバちゃん相手に添乗員さんの声も自然と大きくなります。


列車も混んでるかなと少し心配しながら地下のJR駅へ行くと、意外や意外、ガラガラでした。旭川-新千歳空港間特急往復割引の「Sきっぷ」を購入。普段は駅弁を買わない主義ですが、有名弁当が数多くある北海道に来たんだからと奮発しました。


ホームに降りると旭川行き特急「スーパーカムイ」が待っていました。

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札幌と道内第2都市・旭川、北海道の玄関口・新千歳空港を結ぶスーパーカムイはJR北海道のフラッグシップ特急。アイヌ語で崇高な霊的存在を指す「カムイ」という名に気合いが表れています。


しかもこの特急、札幌まで快速エアポートとして運転するため新千歳空港-札幌は乗車券だけでOK。鉄道会社が力を入れるとこんな違うんですねぇ。JR=ボロというイメージがある広島人は目からウロコです。サブちゃんもこの笑顔。(写真はシートにある広告)

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で、ここで気付きました。やっぱり寒い! 空港駅の地下通路は風がよく通って、半袖の腕に容赦なく吹き付けます。こりゃあかなわん。カバンをあさり、ここで長袖に着替えました。ていうか広島からここまで半袖だったのかよ(笑)




総裁は進行方向に向いて座る派。車両のフェイス(上の写真参照)からして最後尾車両に乗ったと思っていましたが、実は先頭車でした。座席下のペダルを踏んで、一度決めた座席の向きをまたチェンジ。まだ方向感覚をつかめていません。


新千歳空港を発車して、次の駅南千歳の手前で地下から外へ。「天高く」とはよくいったもので秋色の青空はどこまでも透き通り、どこまでも続く大地を優しく照らしていました。間もなく北広島に到着。広島から多くの人が移住したことから付いた地名です。緑豊かな通りはTVで見た北欧やロシアのそれに近く、広島人としては何とも不思議な感覚でした。


新札幌あたりから一気にビルが増えて札幌到着。電車はここで向きが変わります。またペダルを踏んで座席を回転。お客さんも一気に増えてシートが一通り埋まりました。


旭川まであと1時間あります。そろそろ寝ておかないと、と目を閉じようとしましたが、ここでも乗り物好きの性(さが)が。初めて見る車窓が気になって目が冴えてきたのです。結局「容疑者xの献身」の続きを読み始めたりして、旭川まで起き続けてしまいました。あーあ。




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旭川は人口35万人。近くにほかの大都市がなく、札幌まで行くのは大変なので買い物を旭川で済ませるからでしょうか、呉や福山と同規模ですが、こちらの方がだいぶ都会でした。背の高いビルが林立し、明らかに元都営と分かる色のバスがひっきりなしに発車しています。


駅前をてくてく歩いて、マツダレンタリースへ。いよいよこの旅行の相棒となるクルマとご対面です。手続きを終えて案内されたのは…

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ピンクのAZワゴン!! AZワゴンはエエんですけど、ピンクでっせ、ピンク。(ノ∀`) アチャーな感じです。まあどうせ知り合いはおらんし、気を取り直して出発です。
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