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ゲリラ雪

  : 

下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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広島発 バスに揺られて(番外編10) 

3.瓜島17:16→17:29芝川(芝川町営バス)芝川←→瓜島
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(運賃は240円)

このへんの地図をご参照ください) マイクロバスはいったんバス停を通り過ぎ、先ほど総裁が前を通った転回場でUターン。すぐにやって来た。「どうぞ」。白髪のウテシに導かれて車内へ。中はしっかり暖房が利いていて、いてついた体がとろけていく。シートに深々と座って、カーブの揺れに身を任せる。運賃箱はあるが、車内放送も大きな運賃表もない。ウテシ席にはおつりが沢山準備してある。


さっきの旅館にまだ明かりがついていない?のは確認できたが、そこからはどこか分からない。群青色の空に真っ暗な山が浮かび上がる。ところどころに家の明かり。バスは谷沿いの2車線道をスイスイ駆け抜ける。フロントガラスに雨滴がつき始めた。どうやら間一髪のタイミングだったようだ。


稲瀬川を渡る橋の手前で旧道へ。事実上の回送バスだからか廻沢集落を回っても、郵便局の明かりがぼうっと浮かび上がっていた内房集落でも誰も乗らない。瓜島を出て10分でコンビニの明かりが見え、ナトリウムランプでオレンジ色に照らされた交差点が見えてきた。芝川町から身延線の対岸を通って山梨県へ行く主要地方道と交わるからか、横断歩道ではなく地下道があった。


そうそう、こんなに暗くなったらバスの車体を撮るのにフラッシュが必要だ。無用なトラブルを避けるためウテシに事情を説明したら、「へえー、面白いことをしてるね」「清水から歩いてつながるんだー」と興味津々の様子。


「こういう人って自分の他にいるんじゃないですか?」
「いやね、今ごろはインターネットで町営バスのことを知って○○○(聞き取れず)へ行くのに乗る人はいるんだけど、おたくみたいに専門なのは初めてだねー」。なるほど「専門」か。ネットで逆方向に乗った体験談は出ていたが、このウテシ氏のバスじゃなかったのかな。


県道交差点を横切り、新内房橋を渡った先でT字路を右折。次の信号で狭い道に入ってからが町の中心部だった。


左側に線路が現れ、住宅や商店が密集するように。役場脇から踏切をまたぎ、深い谷を古めかしい橋で渡る。田舎町独特の狭い街路をくねくね進んだ先が終点「芝川」だった。駅から少し離れた空き地。地図を見る限り駅前の道は狭く、ここでしかバスが待機する場所を確保できないのだろう。フラッシュを使ってマイクロバスを撮る総裁を、別のバスを待つ女子高校生2人組がじーっと見ていた。


「気をつけてねー」。最後にウテシに見送っていただけたのがうれしかった。




09021516芝川からもう1本バスに乗り継げるが、その先がつながらない。きょうはここまで。JR身延線で2駅南側・西富士宮のホテルを取った。すぐあった富士行きに乗り、まずは興津のコインロッカーに預けた荷物を取りに行く。


JR東海の在来線は西日本と違って、時刻・運用に規則性があるのかないのかよく分からない。行きがけに清水まで乗った時間帯はケチった3両編成が来たが、夜は広島より長い9両編成が来た。また新鋭313系と国鉄時代の211系がひっついていたり、何だかよう分からん。


一つだけ確かだったのは、シートが少ないので座れなかったこと。東海道線富士-興津の往復とも。人口規模にしてはお客さんは多いのでオールロング車にしたい気持ちは分かるけど…ねえ。




19:30、あらためて西富士宮に到着。ホテルでチェックインしている最中、横の棚に気になるものを発見した。「富士宮焼きそばマップ」。思い出した。富士宮はB級グルメグランプリで連覇した焼きそばの街だ。これは食いにいかねば。パンフをゲット。部屋に荷物を置き、早速街中へ繰り出した。


駅前商店街は20時前なのにもうシャッター通り。開いているのはパチ屋ぐらいで一瞬焦ったが、ホテルから2番目に近い焼きそば屋が開いていた。座敷スタイルの店。空いているおかげで4人席を1人で占領できた。


広島県民なので焼きそばぐらい自分で焼くわいと思っていたが、別のテーブルを見ていたらどうも富士宮の流儀があるっぽい。やってきた焼きそばセットを見て「さてどうしよう」と思っていたら、見るからに観光客な総裁を見て「焼きましょうか?」と言ってくれた。「お願いします」。ウケミンに優しい店じゃのう(^^)


富士宮焼きそばは脂から違う。サラダ油ではなくラードを敷き、乾燥させたブタの背脂を炒める。香ばしい匂いを吸い込んで、ゆで麺ではなく蒸した乾麺を載せ、鉄板に水をかけて麺を柔らかく。具材としっかり混ぜた後はイワシの削り節を散らして、最後はウスターソース。ジュワーと焼き音が響いたところで「いただきます」。美味い!!!!


背脂とラードでパリパリになった麺と、イワシ節の苦みがとってもジャンキーな味を出していて、ビールとの相性が抜群。すぐ2杯目を注文した。全国の並み入るB級グルメを押しのけただけのことはある。ほかにホルモン焼きも頼んで2000円程度。B級グルメはおサイフにも優しい。


とはいえもう少し何か口にしたいところ。酒を飲んだらラーメンだ!とさっき焼きそばを食べたことを忘れ商店街をうろうろ。結局いい店が見つからず、身延線の車窓から見えた店に落ち着く。東京風のしょう油味で口当たりがとても優しいスープだった。そしてこの店は餃子が美味かった。ラーメンより美味かった(笑)


大満足でホテルへ。TVを付けようとしたが…リモコンが特殊で操作方法がよく分からず断念。まあ旅先ぐらいこんな夜があってもいいか。




翌朝。最初は芝川発の初便(6時台)、2便(7時台)に乗ろうかとも考えた。しかし、あと3本で今回の終点・吉原中央駅。仮に広島-東京旅でこの経路を使ったとしても、総裁が使った沼津駅より遅い便を使うことになり、どのみちその日中には東京駅に着かない。ならば急ぐことはないじゃないかと、午前7時半まで熟睡。ホテルの朝食をしっかり詰め込んで出発した。きのうのことを思うと体が軽い。

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西富士宮駅で青春18きっぷにスタンプを押してもらって甲府行きに乗る。西富士宮は富士から来る区間電車の終点で、ここを境に身延線は1時間3本から1-2時間1本に本数が減る。JR東海静岡支社はかたくなにロングシートの313系ばかりを入れるが、身延線は例外でボックスシートが並ぶ。長時間乗るならやっぱりこっちの方がいい。


きのうは真っ暗な時間に乗ったので気付かなかったが、車窓はひたすら林ばかりでたまに畑が見えるぐらい。時々脇の道を走るクルマは沼津ナンバーだ。そういえば総裁実家の車は昔沼津ナンバーだった。


芝川駅で降り、傘を差してバス乗り場へ。空き地なんて書いたが、明るい時間に見ると屋根付きのベンチもあった。芝川町広報によるとかつて町内には静岡鉄道や山梨交通も乗り入れていたという。当時はさぞかしにぎやかだったに違いない。

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広島発 バスに揺られて(番外編9) 

2.但沼車庫15:21→15:36宍原車庫(静岡市自主運行バス)宍原車庫
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(運賃は330円)

(順に1,2の地図をご参照ください)宍原は山梨県境にある集落。静岡鉄道はかつて、甲府行きの特急バスを走らせていた。この便はその残り香のような路線だ。


「両河内線」の看板が掛かった乗り場にバスが少し早く着き、扉を開けてくれた。風が冷たくなってきたので早々に乗り込む。客は総裁と、総裁と同じ但沼車庫行きに乗ってきた爺さんと、このあたりで買い物したらしい婆さんの3人。爺さんと婆さんは顔見知りらしく早速世間話が始まった。


「このバスは便数が少ないから困る。もう少し小さいバスでエエから、5,6人で乗れるクルマでええからな、1時間おきにでもあればなあ
「そうですなあ」
1時間に1本はちょっと難しいかもしれないが、現実的な提案。行政サイドにこういう声が届けばいいのだけど。2人のしゃべりは三河弁・岡山弁に近い、広島人が親近感を覚える方言だ。


間もなく後ろに板井沢行きが来て、清水からの但沼車庫行きも到着。詰め所にウテシが集まりトークに花が咲く。外からは鳥のさえずりも聞こえてきた。空の灰色はさらに濃くなり、降らないか心配だ。


このバスは静岡市自主運行バス。バス停も普通のしずてつとは似て非なるタイプだ。

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奥にリエッセもいたが、この便は普通の中型車。それなりに乗り手がいる? 間もなくウテシが戻ってきて発車した。よく見ると無線機を積んでいる。かなり狭い道を走るのだろう。


但沼の集落を抜けて再び国道52号へ。小島公民館前で中学生8人がわらわらと乗ってきた。やはり皆反射材付きの腕章を付けている。うち1人は成海璃子を思わせる清楚な出で立ちで、黄色い腕章とのミスマッチぶりに思わず苦笑い。どうやらこの中学生たちのために走っている路線のよう。部活が終わる時間にはもっとたくさん乗るわけで、中型車が走るのも納得だ。


上りが急になり、沿道にはオレンジ色が鮮やかなミカン直売所が並ぶ。バスは細い谷間の国道をゆっくり進む。中学生は5つ先の宮の脇でもう降り始めた。小河内で今度は小学生が乗車。舞台を過ぎて、それまでポツポツながら続いていた民家がついに途切れ始めた。坂本温泉なんて気になるバス停からはさらに谷が深くなる。


と、大雨時通行止めの標識を過ぎたところで、急に視界が開けた。


真新しい高架。第二東名だ。


さっき東名をくぐってから随分走った場所。こんな山奥を通るのか。ここまでたくさんのダンプとすれ違った。何でだろうと思っていたが、ここで納得。高架脇に出たら、総裁が降りる清水工業団地まですぐだった。

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09021210清水工業団地から、芝川町営バスの瓜島(うりじま)まではバスがないので歩きだ。県道を約3kmの道のり。さった峠回りの半分、広島-東京旅のルールで目安とした4km以内に収まる。


マイナー県道のためほとんど情報がなく、このルートを実行された方のHPによると「寂しい道」とあったので少し不安だった。少しだけ清水側に戻ってT字路を芝川方面へ。第二東名工事の副産物なのかちゃんと2車線道だ。


人家はまったくなく、鳥のさえずりと第二東名からの槌音がけが山々に響く。人間という生き物はよくもまあこんなところまで高速道路を引っ張ったものだ。崖っぷちにへばりつくような高架橋を見るにつけ、執念と土木技術の粋にただ感嘆する。(写真はT字路付近。このへんが一番工事が進んでいた)

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ただ、快適道はいつまでも続かなかった。20分ほど歩くと2車線道が1.5車線に絞られる。クルマはあまり通らないがあんまり気分は良くない。自然と早足になる。間もなく芝川町に入った。

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第二東名の工事現場ゲートを過ぎると高架橋は山の向こうに見えなくなった。見通しの悪いカーブを曲がると電柱にこんな看板があった。

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すぐそこ!? まだ半分ぐらいかなと思っていたら、結構歩いていたらしい。瓜島には温泉があると聞いていたが本当だったよう。一気に足取りが軽くなったが…なかなか「すぐそこ」に着かない。そうこうするうちに2枚目、3枚目の「すぐそこ」看板を過ぎる。もう、すぐそこ詐欺かよと(笑) クルマだとすぐそこなのかな?


15分ほど歩くとちょうど測量をしていた。お互いに「こんにちは」とあいさつしたが、技師さんたちは「?」の表情。やっぱりここを歩くのは相当物好きなよう。観光地もなく、旧街道でもない。芝川町は東隣にある富士宮市との結びつきが強く、静岡側との行き来は少なめ。無理もない。


測量現場を過ぎて…家だ!

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瓜島の集落が見えてきた。バスの転回場も。道がつながっていることは知っているが、やっぱり生活の証しが見えるとホッとする。時間は16:15。思ったより早く着けた。

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瓜島バス停は公民館(見た目は集会所)の前にあった。そして他に何もない。瓜島温泉と書かれた建物は営業していないようだし、自販機さえない。とりあえず、さっきあった3枚目の「すぐそこ」看板に「お風呂だけでも入れます」と書いてあったので、どんなところか見に行くことにしよう。


バス停1つ分、県道をてくてく。10分ぐらい歩いてようやく看板にあった旅館に着いた。が、妙に静まりかえっている。飼い犬がワンワン吠えるばかりで人の気配がしないのだ。本当に立ち寄り入浴ができる? バスまでの時間を考えると風呂に入れるのは40分程度。帰りに湯冷めしそうだし、何だか気持ちが折れてきた。(後で調べると立ち寄り入浴は15:00まで。ちょうど休憩時間だったらしい)


ひと気のない集落をヤサ男がウロウロするのもアレなので、瓜島バス停に戻る。ここなら長時間いても不自然ではない。公民館前の石垣に腰掛けて本を読むが、段々と底冷えしてきた。風がビュービュー吹き抜けて一層寂しさを増す。


とりあえず風を避けようと公民館の物陰で縮こまったら、今度は隣の家の犬が激しく吠え始めた。石垣の切れ目から総裁=犬から見て不審人物が見えたからだろう。最初はほっとけば飽きるだろうと思っていたが、なかなかに優秀な犬のようでずっと甲高い声を出し続ける。さすがに近所迷惑なのでまた石垣に戻る。それでもまた吠えていたが、10分ぐらい経ってやっと静かになってくれた。


17:00になって大音量で音楽が流れた。空が暗くなり、街灯や家の明かりがともる。第二東名の作業員を乗せたワゴンもライトを付けるようになった。こうなると本を読むこともできない。やっぱ無理を言ってでも風呂に入ってくれば良かったかなあ


そして17:15、遠くにマイクロバスらしきライトが見えた。思わず両手を挙げて「おーい」と叫びそうに。これでバス旅の徒歩込み新ルートがつながった!

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広島発 バスに揺られて(番外編8) 

空は鉛色。昼下がりのバス乗り場はのんびりした空気が流れていた。

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学生さんがちょっと少ない以外はあの日と同じ光景。「広島-東京のバス旅でもし清水からこのルートをたどっていたら?」という前提にするため、前回と同じ金曜日の午後2時に戻ってきたのだ。相変わらず忠霊塔行きが次々やって来る。


1.清水駅14:27→14:56但沼車庫(しずてつジャストライン)250但沼車庫 JR清水駅・JR興津駅
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(運賃は540円)

(順に1,2,3の地図をご参照ください) 広島-東京のバス旅では、この14:20発を使うつもりだった。しかしいつまでたっても来ず、結局先に来た14:30発の県営興津団地行きに乗車。途中で抜かされた。きょうも少し遅れて到着。既に乗っている人を含めて5人で清水駅を発車した。あの日興津団地行きを抜かしたバスと同じ、旧しずてつ塗装車だ。不思議な気分。


駅前を右折し北へ。国道1号が1車線に絞られる手前、西久保営業所で1人乗った。ドアを開閉するときビーーーーーというブザーが響き、昔の集合住宅にあった呼び鈴を思い出す。


道が狭まり、袖師公民館前あたりからはいかにも東海道っぽい、街道筋の面影を残す街並みになった。


小学生たちが集団下校する脇をゆっくり走り、庵原川を渡って横砂西で2人下車。東海道線を陸橋でまたいで静清バイパスをくぐると間もなく興津だ。前は歩くことでアタマが一杯でちゃんと車窓を眺めていなかったが、沿道の家々はいずれも立派な門構え。緑萌える時期に訪ねてみた清見寺で1人降りた。


きょうのバスは興津駅前のロータリーに入る。よく見ると清水駅から乗り通している人もいる。時間だけ考えれば清水-興津間だけでもJRに乗った方が早いのだが、階段の上り下りがイヤなのかな。窮屈な広場をぐるりと回り、不二家と自販機の前の、少し窮屈なバス停に到着。乗り場から女子高生ら3人が乗ってきた。(写真は駅ホームから見た興津駅バス停)

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ウテシのネームプレートの上に「私は着席確認して発車します」というスローガンが貼ってあった。その通り高校生が座るのを待って発車した。


バスは国道1号に戻り、興津中町で1人乗車。前回行き着かなかった(笑)県営興津団地の角を左に曲がり、国道52号に入る。国道54号は広島県、53号は岡山県がスタートだが、52号はこんな場所にあったのだ。


後ろを見ると静清バイパスはトラックがひっきりなしに行き交い、横の防災倉庫には弥次喜多のイラストがあった。このあたりは昔も今も交通の要衝。そして「君は太平洋を見たか 僕は日本海が見たい 中部横断道実現」なんて未来もその地位を築こうとする看板があった。


再び陸橋で東海道線をまたぐ。少し走って右側に総裁がさった峠へ行くために渡った橋(新浦安橋)が見えた。あのときはそんなに思わなかったけど、意外に離れてたんだなあ


そしてすぐに東名をくぐる。と、左側から、続いて右側から山が迫ってきた。せまくなった平地には平屋の家がびっしり建ち並ぶ。バスは短区間の利用が多く、バス停のたびに乗り降りがある。少しずつ坂になり、消防学校の先で今度は新幹線の高架をくぐる。


谷津を過ぎるあたりから畑が増えてきて、たわわに実ったミカンが山にオレンジのドットを描く。道ばたの狭いスペースも茶畑として有効利用。山の端にへばりつくように建つ家もちらほらあり、山間部の風景になってきた。


小島で遠くまで見渡せる丘の上へ。「もうあの先は家がなさそう」というところまで見えた。但沼の先でバスは左折。山あいの静かな集落を少し走ったら、もう但沼車庫だった。


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09021108但沼車庫は集落のはずれ、「ここが静岡都市圏の端」といった感じの場所。裏山の手前に茶畑が広がる。TVを付けているらしい詰め所には住み込みの人がいるのだろう、洗濯物が干してあった。車庫前を通りかかった中学生が反射材付きの腕章をしていた。これでも市街地から30分程度の場所なのだが。


次に乗る両河内線は元々清水駅までの直通系統。1987年からは清水市自主運行路線、合併後に静岡市自主運行路線になった。直通系統だった名残りからか、清水-但沼車庫線(三保山の手線)とは今も接続。時刻表の該当便には注釈が付いている。

焼く尾道ラーメン 再会 

尾道ラーメン焼きそばを食べた(このへん)翌日。13時過ぎに起きて異常を察知しました。胃のあたりが猛烈にキリキリするのです。総裁は以前食中毒になったことがありますが、その比ではないぐらい。


周期的に痛みが来て布団で悶絶。「このままじゃあ絶対仕事にならん」と思い、病院へ行くことにしました。ひげをそるときも、歯を磨くときもキリキリが襲ってきて、マンションを出る頃には顔は真っ青、額には脂汗がにじんでいました。親族に胃ガンをやったのがいるので、不安が膨らみます。


とりあえず近所にある新しめの病院に行くと「診療時間 午後3時~」。俺を殺す気か!(上島竜平風)


というわけでマンションの真裏にある別の病院へ。ここは2時スタートで、事情を話したらすぐ診察室に呼ばれました。総裁の表情がよほどヤバかったのでしょう。院長先生が「こりゃあ、すぐカメラやろう」と言い、看護師さんに早口で指示を出します。こういうときテキパキしたお医者さんは助かります。血液検査の結果白血球値がかなり高かったらしく、年配の看護師さんが驚いていました。


見た目は診察室、処置室だけの一般的な病院ですが、奥にどこまでも通路が延びていたのです。レントゲン室や腹部エコー、内視鏡室、浣腸室があって、まるで秘密基地のよう。この病院に来ている広大のインターンさんがやって来ました。


腹部エコーで「痛いのはこのへんですか?」とやるうち、インターンさんがひと言。「こりゃあ胃じゃなくて腸ですね。多分腸炎」 へ? 胃潰瘍、ひいては胃ガンかもなんて思っていたのでちょっと拍子抜けです。


それでも念のためということでレントゲンを撮り、初体験となる内視鏡検査=胃カメラへ。最初は自分の胃の中をしっかり見ちゃろうと思っていましたが、管が食道を過ぎたあたりで苦しくなってそれどころではありません。一回オエっ!とやってしまってからは、もう虫の息です。ああ、もっと真面目に生きとれば良かった…。そんな時、ちらっと画面を見たら奴がいたんですよ。


昨晩食べた尾道ラーメン焼きそばが。


まさかこんなところで再会するとは。インターンさんと院長先生が「午前2時に食べたもんがまだ残っとるということは相当胃腸が弱っとるねえ」。とりあえず小腸炎ということで胃腸薬を処方されて一段落となりました。


腸炎ということで少し拍子抜けでしたが、ネットで調べるとかかった人はみんな総裁と同じように悶絶したよう。発熱することもあるそうです。会社を何日も休んだ人も。実は身近で怖い病気だったのです。しばらく養生します。

焼く尾道ラーメン 

スーパーで再び「ぁやしぃモノ」を発見しました。商品のフルネームは長いのですが、端的にいうと尾道ラーメン焼きそばです。透明ビニルに入った中身と作り方を見る限り、尾道ラーメンのスープで炒める焼きそばらしい。案の定人気がないらしく袋には3割引シール。とりあえず買ってみました。


麺だけで作るのも味気ないので、冷蔵庫をあさってモヤシ、ぶなしめじ、カットねぎ、豚挽肉と麺を炒めて、いよいよ尾道ラーメンスープを投入。

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黄色い麺に緑色のネギがアクセントになって見た目いい感じです。早速食べてみました。


…尾道ラーメンの味がしない


一応公式の作り方通りに調理したのですが、具を入れすぎたためかスープが広がりすぎてすっかり薄くなったよう。何となく塩味は付いているんですが、普通のラーメンスープでも同じような気がします。焼きそばにする以上、尾道ラーメンの味を出す(=味に差を付ける)のは無理なんじゃないか? 開発者は画期的と思ったんでしょうけど…。


岡山勤務時代、近所の飲み屋でソースを使わない、香ばしくてコクのある焼きうどんを出す店がありました。ごま油を上手く使っていたのですが、スープで炒める焼きそばではそんな作り方もできません。というわけでボツ。残念でした。

広島発 バスに揺られて(番外編7) 

天理-亀山を非名阪国道でつなぎ、心残りは「由比-興津で6kmも歩いてしまったこと」だけになりました。何とかしてつながらないものか。色々探しました。そして歩く距離が少し短い別ルートを発見したのですが…


ダイヤが分からない!


そう、当時富士急静岡バスのHPがなく、富士市内でもないので最新の時刻表が分からなかったのです。橋を1つ渡った場所から発着の山梨交通なら時刻表があったのですが、これ以上歩く区間を増やしたくないですよね。行き詰まってしまいました。


電話で問い合わせんと分からんかなあ、と思っていた07年秋、某サイトに情報が入りました。ルート上にある芝川町の広報誌に富士急静岡バスの時刻表が出ているというのです。早速PDFファイルをダウンロードすると、確かにありました! そしてダイヤがつながったのです!


これは行かねば。ようやく連休が取れた08年1月、青春18きっぷで広島を出発しました。ハイ、節約モードです


広島で降りる人の座席をせしめようと横川から乗車。大阪ですっかり定宿化したドヤに泊まり、翌朝、環状線→大阪始発7:03の新快速で一路東に向かいました。15分前から並びましたが、京都あたりで通勤ラッシュに突入するためでしょう、最初は座れず。京都で強引に席を確保し、守山あたりまで窮屈な思いをしました。


その代わり米原で待っていた大垣行きはムーンライトながら間合い運用の373系!! もうね、ふんぞり返ってくつろぎましたよ。もっとも大垣ではまた席取り争いになったわけですが。


浜松、静岡で乗り換え。オールロングシートの313系で耐えがたきを耐えて、昼過ぎ、1年3ヵ月ぶりの清水に降り立ちました。これからの歩きに備え、先に興津駅を回ってコインロッカーに荷物を預けました。清水駅前でバスを眺めるとボロ車が少し減った気がします。




あの日(このへん)と同じように、メシを食おうと駅前商店街をフラフラしてみます。まずあったのはあのココイチ! 腹が下った前回(このへん)の二のテツは踏みませんよ(笑)


さらに歩いても相変わらずこれといった店がありません。遠洋漁業の焼津港が近いので「まぐろ丼」の貼り紙を出す店が何軒かありましたが、1000円を超えていたり、微妙な店構えだったり。結局アーケードの端に着いてしまいました。こうなると仕方ない。一縷の希望を胸に別の道で駅まで戻りましょう。


そして国道でついに発見! 「とろろ汁」ののぼり!!


前回は知りませんでしたが、後に買ったBJエディターズ本「しずてつジャストライン」によると、江戸時代の旅人に愛されたとろろ汁は安倍川餅と並ぶ静岡名物らしい。特に藤枝-静岡で通った丸子(このへん)には有名店があるそうです。一読したときから「食べたかったなあ」と思っていました。きょう偶然にもチャンスが巡ってきたわけです。


店の入口を開けると民家の玄関。「うわ、失敗したか」と思っていたら、物腰の柔らかそうな主人が出てきて2階に案内されました。2階は旅館の部屋みたいでちょっとした料亭気分。メニューの裏にあった案内によると定期的に民謡ライブを開いているそうで、片隅にアンプがありました。ちょっと部屋に合わないけど(笑) ここ清水と東京・中野に店があるようです。

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とろろめしとけんちん汁にひじきの煮物などが付いたセット(880円)を注文。微妙におこげが付いた麦めしをお櫃(ひつ)からよそい、自然薯をとろり。力強い粘りとだし汁のコクがほんのり重なり、これは美味い! 卵がなくても口いっぱいにふわふわが広がります。


ひじきもけんちん汁もうす味。食卓に醤油はありません。でもどんどん箸が進みます。考えてみれば江戸時代は調味料をふんだんに使えなかったし、卵なんて簡単には食べられませんでした。もしかして、東海道の旅人が愛した味を食べられたのかも。スローなバス旅でいただけたらなおのこと風情がありますね。


量の割に結構お腹いっぱいになりました。そしてここで気付きました。バス旅初のご当地グルメじゃん! そう広島-東京の旅ではコンビニやチェーン店系メシばかりで、全然ご当地モノを食べていなかったのです。ま、一度ゴールした今なら許してもらえるんじゃないかなあと思ってみたり(^^;


精を付けたところでバス乗り場へ向かいましょう。

広島発 バスに揺られて(番外編6) 

10.津駅18:17→18:55椋本(三重交通)52柳山 三重会館 椋本
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(運賃は600円)

(順に1,2,3の地図をご参照ください)あたりはすっかり暗くなった。次に乗る椋本行きは交番の前、津駅前の一番端っこが乗り場だ。風がよく通るので、ビルの陰に入って寒さをしのぐ。定刻より少し遅れて、ライトを付けたバスが到着。三重会館の南にある米津が始発なので、すでに乗っている人もいて計11人で発車した。山間部のバスにはいなかった若い人もいた。


2車線になった国道23号は流れが悪くなり、ノロノロ気味に。テールランプの列がずっと先まで続く。沿道は吉牛、サイゼ、かっぱ寿司とロードサイド店が大集合。暮れた街をこうこうと照らす。広島だともう少し郊外に行かないと見られない光景だが、津では市街地の隣がこんな感じだ。ロードサイド店の向こうは住宅地だったのでどんどん降りていくだろうと思っていたが、中々押しボタンがつかない。


白塚口で国道を左折して伊勢別街道に入ると、店が減ってあたりは真っ暗に。クルマも減ったので一気に流れるようになった。それでも降りる人がいなかったが、一身田で紀勢線をまたいだ先、西睦合で1人降りたのがアリの一穴になったのか、少しずつ降り始めた。


登り坂になり、エンジン音が甲高くなってきた。上の方にオレンジ色の街灯が見えてきて伊勢道をくぐる。このあたりからが旧芸濃町だ。


外を見ると中古車屋ののぼりが激しくはためている。外は相当寒いようで、窓のすき間から冷たい風が入ってくる。新屋敷で細い道に入り、旧町の中心部?へ。店の軒先を2,3回曲がって着いた空き地?が終点の椋本だった。どこかに車庫とかあるんかなあ。驚くべきことに総裁を含めて5人が乗り通した


写真のようにまったく明かりがなく、バスの車内灯だけが夜空に浮かび上がっていた。


11.椋本19:04→19:25亀山駅前(三重交通)亀山駅前
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(運賃は360円)

(順に1,2の地図をご参照ください)ラストランナーとなる亀山駅前行きはすでに待機していた。別の方の旅行記では中型バスだったが、きょうは小型車のリエッセ。客は総裁1人だけだ。これで事足りてしまう利用状況ということか。


中型車では窮屈だった椋本の市街地も、リエッセならラクラク。亀山に向けて北上する県道もゆるやかな坂・カーブが連続するがスイスイ走り抜ける。前を行くトラックが邪魔に思えるほどだ。


再び合流した伊勢道をまたいで亀山市に入ると、だいぶ家が増えてきた。阿野田口からはマンションもちらほら。長い橋で鈴鹿川とJR関西本線を渡って別の県道に出るとロードサイド店が林立し、急に周りが明るくなった。光の帯に見送られるように亀山駅前へ到着。最後まで貸し切り状態だった。きょう最後のバス旅は拍子抜けするほどあっけなく終わった。




09021005これで天理-亀山間が名阪国道を使わずにつながった。総裁の広島-東京旅では天理の翌朝には亀山までたどり着けたので(このへんこのへん参照)、今回のルートなら1日余計にかかる計算。それでも今にも途切れそうな、細い細い線をつなげられた喜びの方が大きい。きょうもバスによく乗った。


なお、亀山市HPの地域公共交通会議資料によると、椋本亀山線は存廃について同様に補助金を出している津市と協議中のよう。津市「コミュニティ交通の運行計画(案)」でも「現在検討されている亀山市の地域生活交通の再編方針により、現行の維持方式を継続することが難しくなることが予想されている」とある。2009年度は暫定的に運行が続くようだが、このルートはもう賞味期限が短いのかもしれない。


もし椋本亀山線が廃止になった場合は、津駅から鈴鹿市内の太陽の街行きバスに乗って、鈴鹿市C-BUSに乗り換えとなる。実は今回太陽の街経由も考えた。しかし津駅から1日2本しかなく、久居発のバスにつながらないことが判明。椋本回りになった。椋本亀山線は現在1日10往復もある。住民のためヲタのため、廃止になっても代替手段を残してほしいと思う。




「名阪国道を使った」という後ろめたさから解かれ、胸のつかえが1つ取れた。晴れやかな気持ち。さあ帰ろう。


本当はバスを駆使したいところだが、大阪発広島行きの夜行バスに間に合わせるためには亀山からだと余り選択肢がない。逆にスローとは正反対にしてやろうと、JR→近鉄特急を使うことにした。近鉄だときょう通った久居、名張、榛原、桜井を通るし。

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ちょうどあった紀勢線の多気行きで津へ。バスで1時間の道のりをキハ11は十数分で駆け抜ける。ローカル線とはいえ、やっぱり鉄道は速い。

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日本一短い駅名に敬意を表して津駅を撮影。近鉄のきっぷを買ったら特急券コミで2920円だった。1人打ち上げのためにビールやおつまみを買い込んで、肌寒いホームへ。次から次へと来る電車を見送り、いいかげん冷えてきたころ、20:21、オレンジと藍色の特急が滑り込んできた。いつもなら見送る電車に、きょうは胸を張って乗り込む。


まずは乾杯!ビールが全身にしみわたる。シュワシュワと幸せに包まれている間に久居を通過。伊勢中川を過ぎると車窓の明かりがぐっと減って、山陽本線に乗っているような気分になる。20:54には名張に到着。半日かけた距離をたった30分で戻ってきたのだ。まるでビデオの巻き戻しだ。


朝10時にいた榛原は21:10に、朝8時半にいた桜井は21:20に通過。桜井から先は沿線に人家が続くようになってきた。天理からのバス旅を思い出しているうちに長いトンネルを越え、視界に大阪の明かりが飛び込んできた。


難波には21:53着。長い夢から現実に戻る1時間半だった。そして、速い乗り物を使ったからこそバス旅の心地よいスローさがあらためて分かった。特急で行ったら、桜井の街並みも、榛原のミスドも、香落渓も、名松線、久居のガラス張り待合室も見ることはなかったのだから。


普段着の奈良・三重にどっぷり浸かった一日、これにて終わりです。

広島発 バスに揺られて(番外編5) 

8.竹原16:10→16:55久居駅(三重交通)久居駅
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(運賃は790円)

(順に1,2,3,4,5の地図をご参照ください) 伊勢竹原駅からバス乗り場に戻った。間もなく折り返し久居駅行きになるバスがやって来て、駐車場の端っこに止まった。ウテシは駐車場にいた男の人と談笑している。同僚か顔見知りだろうか。そこへ幼稚園バスが到着。子どもが降りて、男の人と帰って行った。


その後はさっき乗ったバスが丹生俣行きとして戻ってきて、すぐに発車。またあたりが静まりかえった。16:05ごろになって久居駅行きがエンジンを始動。乗り場にやって来た。方向幕は前も横も「久居駅」とだけ書かれている。車内のウテシ席後ろのボードにも方向幕があったが、ここも「久居駅」だけ。三重交通旧型車独特の仕様を見られて良かったが、あまり活用されていなくて残念だった。そんなにマイナーな系統なんだろうか。


竹原からは総裁1人だけ。家城まで来るとだいぶ家が増えた。わざわざ住宅地の細い道を回るのだが、乗ってくる人はいない。「ビッグバン」というミレニアムな名前のパチ屋前で再び県道に合流。この路線はいつも同じウテシなのだろうか、工事現場の誘導員が親しげに手を振っていた。


日は傾き、道路沿いの田んぼがオレンジ色に照らされる。また名松線の線路を渡って細道に入り、家城橋でようやく2人目の客が乗ってきた。また県道に戻り、しばらく先の上井生で再び住宅地に入って集落をトレース。名松線をまたまたぎ、大仰から小高い場所に出ると遠くに海が!! そう、きょう初めて陸の切れ目に出会ったのだ。遠くにはぼんやりとビル群も見えた。


井関からさらに坂を登って高野団地を経由。久々に人通りがあって街に帰ってきたんだと実感する。団地を下りると左側から近鉄の架線柱群が近付き、対向車も増えてきた。伊勢自動車道をくぐって、ぐいと幅が広がった雲出川を渡ると、もう久居の市街地だった。


桜井を思い出させるような古い街並みをゆっくりと走り抜ける。旅籠(はたご)町なんて歴史を感じさせるバス停を過ぎたら、もう駅前。年季の入った市街地から一転、ガラス屋根が目立つ、現代アートみたいなバス乗り場だった。(wiki中のこの写真をご参照ください)


9.久居駅17:02→17:36津駅(三重交通)16上稲葉 久居駅  津駅
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(運賃は390円)

(順に1,2の地図をご参照ください)バス乗り場にはガラス張りの待合室があった。中に入ろうとしたが入口が見当たらない。と、「→」のシールが貼られたガラスを発見した。「さては→の向きに動かせばガラス戸が動くのか」と判断。ウーンと押すが動かない。あれ?


→は入口の方向を示していただけで、すぐ目の前に誰が見ても入口と分かる扉があったのだ。総裁は動かないガラスを一生懸命動かそうとしていたのだ。中から見ると不審人物以外の何者でもない。あー、恥ずかしい…。。


次のバスは久居駅から10kmほど西側の榊原車庫発。駅に着くと客のほとんどが降り、久居からは5人で発車した。駅前を右折して北へ向かう。ちょうど「津5km」の標識があった。車内を見回すと「バスの安全度はマイカーの878倍」という広告があった。年間事故者をそれぞれの利用者で割った数で算出しているようだが、何かこう必死だなあ。


久居の市街地を抜けると典型的な郊外国道に。右側を並走していた近鉄線を中青谷でくぐり、阿漕(あこぎ)手前でJR紀勢線をまたぐ。信号待ちの渋滞を経て国道23号に合流。広島-東京の旅で通った、あの名四国道になる道である(このへん参照)。ズバンと片側3車線に道が広がり、都会的な眺めに一変した。考えてみれば6車線道路なんて今日初めてだ。


津市中心部に入るとさらに4車線に広がった。そして三交本社がある三重会館で、何と十数人が一度に乗ってきた。立ち客が出たほど。津は鉄道が内陸側を通り、中心市街地は鉄道と海の間に拓けた。市役所や裁判所、デパートがある三重会館周辺は駅から遠く、公共交通だとバス利用になるのだ。(三重会館の外観はこんな感じ。wikiより)


駅に近付くとかえってビルが少なくなっていった。県庁前を過ぎて道路幅が狭くなったところで左折。日本一短い名前の「つ」駅に着いた。




09020903次のバスまで35分あるので駅ビルのカフェで一息。ここで粘ろうと思ったが、帰宅時間帯のため店内は右も左も学生でとても落ち着ける雰囲気ではない。適当に退散して乗り場の前で一服することにした。学生がいるからこそ成り立っているバス路線もたくさんあるが、いざ一緒になるとたいぎい。


竹原-久居駅で乗ったバスは三重交通が2006年、廃止の意向を示した。県の第三種補助が期限切れを迎えたため。その後津市自主運行バスとして存続し今に至る。前回更新(このへん)で触れた津市「コミュニティ交通の運行計画(案)」では幹線交通に位置付けられた。当面は安心して良いのだろう。


ちなみにこの路線は「多気線」という。総裁愛用のアトラスRDX東海06年版にも竹原から奥津・丹生俣へ一般バス路線を示す波線が延びている。そう、かつては美杉村の多気までちゃんと三重交通の一般路線バスが走っていたのだ。三重県HP中「知事と語ろう本音でトーク 平成16年(2004年・総裁による注)度第5回」によると、当時の美杉村で村民と知事の間でこんなやり取りがある。カッコ内は総裁による注。


村民「(前略)数年前までは、津まで、三重県会館までのバスがありました(後略)」
知事「(前略)平成10年(1998年)3月まで、津の三重会館行きのが、これは丹生俣から出ておったんですね。そうですね。それが廃止をされた。それでは村のほうで何とかしなきゃいかんということで、4月からは竹原まで行く自主運行バスを運行しておる(後略)」


名松線という名前が国鉄の夢の名残りであったように、多気線も三重交通の夢の跡だったのだ。路線名に歴史アリ。

広島発 バスに揺られて(番外編4) 

7.奥津駅前14:50→15:42竹原(美杉コミュニティバス)上多気(資)
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(運賃は900円)

(順に1,2,3,4,5の地図をご参照ください)今回乗る竹原・一志病院行きはちょっと複雑だ。津市HPの路線別時刻表では「竹原行」となっていて、実際に1台のバスが竹原・一志病院まで直通する。しかし、奥津駅前のバス停時刻表では竹原行きになっていないのだ。


原因は2つの路線をまたぐイレギュラーなルートを走るため。美杉コミュニティバスの時刻表は路線別に発車時刻が並び、この竹原行きは本来竹原へ行かない路線の場所に何の注釈もな書かれているのだ。しかもタチが悪いことに別路線の竹原・一志病院行きもあり、きょうの竹原行きが既に終わってしまったかのように見える。やってきたバスの方向幕も「上多気(資)」(途中にあるふるさと資料館を指すと思われる)。これはちょっと不親切だ。


総裁は事前に調べていたから自信を持って乗った。しかし、発車直前に到着の名松線から降りてきた女の子は時刻表とにらめっこした挙げ句乗らなかった。ウテシも声を掛けようとしていたが、先に女の子がどこかへ行ってしまった。あーあ。


見た目は普通の三重交通バスだが、整理券も車内放送も運賃表もない。典型的なコミュニティバス仕様。HPに運賃がなく、当日運賃表を見ればイイやと思っていたが、これではウテシに聞かないと分からない。「竹原までですがいくらでしょうか?」と聞くと「えーっと」と三角表を取り出して調べてくれた。900円はちょっと高めだが、これだけ山深い場所で1時間も乗るんだから仕方ないのだろう。


不意に「竹原からはJR?」と聞かれた。ここで「バスに乗り継ぎです」なんて答えると救いようのないヲタみたいだし、説明がたいぎいと思い「違うんですけど、まあ、色々と」などとお茶を濁した。ウテシは怪訝な表情でブツクサつぶやいていた。今になって思えば、これではかえって不審人物だ。堂々と言って色々話を聞けば良かった。反省。


奥津駅前より前から乗っていた1人と総裁の2人で発車。駅前の狭いT字路に出て名張とは反対側へ左折、名松線を渡って再び伊勢本街道(国道369号)と合流する。小学校の横を通り、ぐいと北へ曲がる名松線を今度はまたぐ。傾斜がきつめの飼坂峠を軽快に登ってトンネルを抜けた先が多気(たげ)地区。戦国時代に伊勢國を支配した北畠氏の本拠地があった場所だ。


「7つの峠を越えないと入れない」要害。物流ルートだった伊勢本街道を抱えていたこともあり、城下町は栄えて最盛期「山中に都あり」と称されたという。しかし世の中が平和になると不便さがあだになり、発展から取り残された。現在も東は酷道、南は未開通国道、北は険道で、西だけがトンネルで通りやすくなった程度。こんなところに城を築いたなんて現代の技術でも想像がつかない。


バスは上多気の交差点で北へ左折。道幅の狭い、昔ながらの街並みを行く。ふるさと資料館で旧美杉村の南端・丹生俣へ行くハイエース(一応コミュニティバス)とすれ違う。ハイエースかあ。こちら側のウテシが手を振る。北畠氏館跡である北畠神社の脇を通り、野登瀬を過ぎると家並みが途切れた。


八手俣川沿いの狭い道をしばらく走って、やっと次の集落へ。昭和の大合併までは北畠神社のあたりが多気村、ここからが下之川村だった。それなりの集落で家もちらほらあるのだが乗り降りはまったくない。下之川地域センターでは敷地内の駐車場までわざわざ回るが誰もおらず。下中村でもう1人の客が降りてからは本当に寂しくなった。山口でバスに犬が近寄ってきたのが妙に愛おしく思えた。


再び集落が途切れ、ぐねぐねとした細い道になる。左下の川は、よく見ると流れが止まっている。どこかで見たような光景…やっぱり、ダムだった


1972年完成の君ヶ野ダム。そして名張-奥津のバスとは逆に、天端からダム下の川の高さまで猛烈なヘアピンカーブをくるくる回り、一気に下る。思わず握り棒を持つ手に力が入った。少々の酷道・険道でも中型車を走らせる三重交通が、小型車をこの路線に充てたわけだ。これはリエッセじゃないと無理。


であいの館、なる怪しげな建物に「?」と思っていたら、左に名松線の列車が見えてきて竹原駅。その次が総裁の下りる竹原だった。紀伊半島の屋根から下りられたのだ。ふう。奥津からここまで1時間。ちなみに山の向こうを走るJRだと23分で来られる。ローカル線の代表格ともいえる名松線がまるで高速鉄道のよう。バスの旅はそれだけスローなのだ。気付いたら方向幕は「一志病院」に変わっていた(笑)


恐るべきことに、ここはまだ旧美杉村だ。広いのう…。




09020806次のバスまで30分あるのでウロウロしてみた。バス停は竹原コミュニティー防災センター、特産市場が並ぶ地域拠点の一角にある。広い駐車場があり「さわやかトイレ」なる建物も。中はこぎれいな普通のトイレだが、個室に張り紙があった。


「紙を持ち出さないで下さい。これ迄にも紙を持って行かれた方が有りましたが、交通事故や一週間以内に不幸に遭遇された方 決して少なくありません。皆さまの御無事をお祈り申し上げます。紙は神様」


って、全然さわやかじゃないじゃん!!! 腹に据えかねているのは分かるけど…。このトイレはスチール棚も盗まれたようで、こちらの「返してください」貼り紙には呪いの文言はなかった(^^;


バス停から2,3分歩いて伊勢竹原駅へ行ってみた。クルマが何台か止まっていたので「もしや」と思ったら案の定、伊勢奥津行きの列車が到着。高校生が何人か降りていった。

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駅舎は相当年季が入っていて、同い年ぐらいの大木がよりかかっていた。「伊勢竹原駅」の文字は紙ではなく、タイルに書かれている。開業した1935年当時のモダンがこんなところに息づいていた。待合室以外は使われておらず、出札窓口らしき場所はシャッターが閉まっていた。駅前には古い家が並び、戦前にタイムスリップしたかのようだった。




津市交通政策課は2008年8月、合併前からそのまま引き継いだ地域生活バスの再編を目指し「コミュニティ交通の運行計画(案)」をまとめた。


計画では、美杉コミュニティバスは現在の川上・奥津-旧役場-竹原(1日5本)、丹生俣(にゅうのまた)・奥津-下之川-竹原(1日6本)の2系統を統合して循環路線に変更。右回り左回りそれぞれ1日4本運行する。竹原では一志病院・近鉄榊原温泉口駅方面とを結ぶ白山コミュニティバスと接続する。また枝線となる川上、丹生俣地区は1日1往復のみとし、ハイエースでの運行は止める。(なお、パブリックコメントで個別ダイヤの改善や丹生俣地区の日中便確保を求める意見が出た)


「観光客にも利用しやすいダイヤなどの見直し」「民間路線バスとの接続を図る(意見募集を経て『配慮する』から『図る』に変わった)」をうたっているので、本数が減っても著しく不便になることはないだろう。せっかくなので名張方面との接続も配慮してくれたらうれしいな(希望的観測)。


ともあれ非名阪国道で関西-中部の路線バスをつなぐ唯一のルート。4月からの新体系に注目だ。

広島発 バスに揺られて(番外編3) 

6.名張駅前13:00→14:10奥津駅前(三重交通)31奥津駅前
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(運賃は1010円)

(順に1,2,3,4,5,6の地図をご参照ください) 伊勢湾岸の松坂から内陸へJR名松線という鉄道が延びている。「名松」の松は松坂だが、沿線を見ても名にあたる地名はない。実は名張のことで、同じ盲腸線の旧可部線、錦川清流線同様に途中までしか建設されなかったのだ。今回乗るバスはその名張から名松線の現終点・伊勢奥津へ行く。鉄道建設の夢の跡を結ぶ路線なのだ。


バス待合所へ行くと爺さん婆さんがずらり。あと若い衆も結構いてベンチが一通り埋まるほどだった。名張からの奥津行きは1日2本。客は少ないだろうとタカをくくっていたが、バスが着くとベンチの人々が一斉に立ち上がった。平日昼間としては大入りの20人を乗せて発車した。みんな顔見知りらしく、周りの客に次々と声を掛けている。このバスが貴重な「井戸端」らしい。


最初は曽爾からのバスが来た道を引き返す形。夏見で3人乗る。ここで皇學館大学のスクールバスとすれ違った。さっきの若い衆はこれの折り返し便に乗るようだ。


夏見で曽爾への険道とお別れ。下比奈知で狭い街路に入り、民家の軒先をかすめる。途中には団地もあったが誰も降りる気配もなく、アナウンスだけが流れ続ける。一瞬2車線道路に出たのも束の間、滝ノ原口からまた細道に入る。そして上比奈知で目の前が灰色に染まった


ダムだ


あまりの巨大さに思わず息をのむ。地面にべったり張り付いた集落を築いたのも、灰色の壁を築いたのも同じ人間。その落差に思わず「はあー」と声を出してしまった。バスは天端(=てっぺん)の高さを目指し、エンジン全開でグネグネ道を登る。一気に高度をかせぎ、眼下の比奈知集落が模型みたいに小さくなったところで国道に合流した。道路脇の気温計は5度。


ここからはトンネルや歩道がしっかり整備されたダムの付替道路。濃い緑色の水面が広がるひなち湖を右手に、2車線の快適道をゆっくり走り抜ける。比奈知集落を出て15分、前のバス停を出て10分、やっと民家が見えてきた。付替区間が終わった横矢橋で再び道は狭くなり、やっと最初の下車客。沈下橋のある糀屋前で3人、長瀬局前でも2人とどんどん降り始めた。


そして道路もどんどん悪くなってきた。布瀬橋のきつめのカーブで対向車を待ち、ぎりぎりバスが通れる道幅を登っていく。狭いくせに交通量が多いし、対向車待ちのバスを抜かしていく不心得な一般車もいたりして難儀する。大戸屋口の手前では窓をこすりそうになった。抜群の車両感覚がないとこの路線は運転できない。乗っている総裁の手に汗握る。


そんな中、津市(旧美杉村)に入った。もっとも市街地までは直線でも35km離れていて、県庁所在市内とは思えないほど。平成の大合併で多くの自治体が無理をした一例だ。


合併したからといって道路事情が急によくなる訳もなく、相変わらずのヘロヘロ道。飯垣内でセンチ単位の離合を突破し、下太郎生(しもたろう)でやっと津市最初の集落が見えてきた。もっとも民家の軒先が道路に出ているので離合の難易度はさらにアップするわけだが。


太郎生殿橋あたりから旧道に入る。相当山深い場所だが断続的に集落は続き、太郎生で残り半分ぐらいの乗客が降りた。よく見ると谷をつなぐ橋の向こうにも集落がある。中太郎生では寝ていたおばちゃんが慌てて起きて下車。外は日差しが戻り、車内はぽかぽか暖かい。平日だというのにライダー集団とすれ違い、上太郎生でさらに狭い道に入るが、もう驚かなくなった(笑)


坂を登り切ったところで「奈良県」の標識が現れた。


ん、奈良県??


そう、旧美杉村の南西に奈良県御杖村が食い込んでいるのだ(このへん参照)。地形の関係で、太郎生から旧村内の他地区へは奈良県内を通った方が早い。平成の大合併の時は太郎生の人たちが名張市への分村合併を求めて議会に住民発議を起こしたほどだ。間もなく午前中通った国道369号(伊勢本街道)の続きと合流した。


久々に信号があった国道交差点脇が敷津。名張から1日4本ある区間便の終点で、三重交通の車庫もある(wiki中の写真参照)。このバスに接続する御杖村営バスが入口を開けて待っていて、ここで総裁以外の全員が降りた。


2車線道路に出た!と安心したのも束の間、三重県津市に戻るとまた道が狭くなった。払戸まで来るとまとまった数の家が建ち並ぶようになり、狭い路地を左折したらそこが伊勢奥津駅だった。曽爾-名張もそうだったが、名張あたりでバスウテシをしようと思ったら、よほど腕が確かでないと勤まらない。プロのドライバーは凄い。


乗ってきたバスは折り返しの名張行きになるか、敷津へ回送するものと思っていたら「飯垣内」行きに変わった。名張市から津市に入った直後にあったあのバス停。何と名張駅発だけでなく、奥津駅発の区間便もあったのだ。逆向きは調べておらず、これには驚いた。




09020803 同じく盲腸線だった旧可部線三段峡と違って、伊勢奥津にはこれといった観光地もない。本当に何もない場所だと思っていたが、駅舎は駅と行政施設が一体になった真新しい建物だった。

少し立ち止まってみた。しーんとしていて、耳に入るのはザーッと風がそよぐ音と鳥の鳴き声、そして遠くから聞こえる川の流れだけ。人工的な要素は何一つない。胸一杯空気を吸い込む。つい1時間前まで本当に街中にいたのだろうか…なんて気持ちになる。同じ空の下、総裁の職場ではみんなアクセク働いている時間だ。


待合室には駅ノートがあった。最初はここまで来た足跡を残そうかと考えたが、パラパラめくると名松線に乗った感想がほとんど。総裁と同じバスで来た人もここから列車で下ったようだ。バスだけの旅で立ち寄った人間が書くのはどうもバツが悪い。パスすることにした。


そんなとき駅に婆さんがやって来て「名松線の時刻はどこに書いてんの?」と聞いてきた。総裁が時刻表を指さすと、じっくり眺めて帰って行った。やはりお年寄りには公共交通機関が欠かせないんじゃなあと思ったが、時刻を知らないということは普段乗っていない証拠でもある。何だか切ない。

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ホームに出ると、古めかしい給水塔が残っていた。2月のやわらかい日差しは心地よく、待合室より外の方が過ごしやすい。バス停に戻って待つことにした。




前述の御杖村営バスは曽爾-名張で通った掛西口と敷津を結び、実は総裁が使ったルートをショートカットしている。両端で三重交通か奈良交通のバスに接続するダイヤ設定で、今回も掛西口で1時間半待てば、敷津で奥津駅前行きに接続するバスに乗ることができた。


ただ、敷津方で名張発着便にしか接続していない。活用できる便は限られていて、現行ダイヤでは掛西口12:53→敷津で今回乗った奥津行きに乗り換える、奥津14:52飯垣内行き→敷津で1時間50分待って村営バス→掛西口で奈良交通に乗り換え、の2パターンぐらいしか使いようがない。少しイジるだけでどうにかなりそうな感もある。うーん。
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