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ゲリラ雪

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下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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陽春 

入社1年目に同じ持ち場で苦労し、深夜のガストでグチりまくった同期を訪ねて岩国の山奥へ行ってきました。往復とも防長の高速バスです。次のバス停を知らせるアナウンスごとに音楽が鳴り、まるで沖縄の「ゆいレール」みたい(^^; 英語放送も入るのですが、「動物園」「中央病院」「駅」など英訳すればいいものまで全部ローマ字読みで苦笑しました。


ここ数日の陽気で山奥にも春が来たようです。


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つくしです。にしめにすると美味いんですよね。タラの芽の天ぷらも恋しい。


春到来というわけで、今から1000円高速を使ってちょっと出かけてきます。制度自体が6月に終わる&総裁のローテ事情を考えると、これが最後の活用になりそうです。
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北海どうでしょうⅡ 21 

9.さるふつ公園前18:10→音威子府20:20(宗谷バス)音威子府行

(運賃は2260円)



今回も観光型かと思いきや、路線タイプのクルマがやってきました。広電が大量に導入した日野ブルーリボン。広電とシマシマの色が違うだけなので、妙に親近感をおぼえます。(写真は浜頓別ターミナルで撮影。なので外が真っ暗になっています)


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見た目こそ路線タイプですが、さすがに中はリクライニングシートが並んでいました。前の4,5列だけですが補助席もあります。登校時間はかなり混み合うのでしょう。このバスが音威子府発朝イチの便になるはず。乗り降りしやすさや定員を考えて、路線型を音威子府行き最終に充てているのかもしれません。稚内から音威子府まで通しで乗る人には気の毒ですが…。きょうは中学生ぐらいの女子と、おばちゃんが乗っていました。


オホーツク海はさらに暗さを増し、夏の名残をすべてのみこもうとしていました。


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猿骨で国道を右折して内陸へ。芦野で完全に日が暮れ、あたりの牧草地もオホーツク海と同じ群青色に染まってきました。浜猿払で再び国道に戻ると、矢羽根の赤と街灯のオレンジに道路が包まれていました。浅茅野で女子が下車。両替してから運賃箱に硬貨をジャラジャラ入れていました。稚内からなら2010円で2時間。猿払村の中心部・鬼志別からでも50分かかります。自然に恵まれているといえば聞こえは良いですが、広大な北海道ではちょっとした買い物も大変です。


そして何と、あの「飛行場前」でバスを待っているおじちゃんがいました。紙袋を持っていて、仕事か用事の帰りといった感じ。通学、通院と観光ぐらいしか利用がないと思っていましたが、ちょっとそこまでの人も使うんですね。


それ以外、国道238号では止まることなくずーっと一定速度で走り続けました。融雪剤でサビやすいですが、加減速がほとんどない分、バスにとっては実に優しい道。走行距離の割に長持ちするわけです。経営事情もあるとはいえ、かなり年季が入ったこのクルマも現役ですし。


行きと同じルートなのでメモることも少なく、気付いたらぼんやりしていました。ふと横を見たら暗闇の中から飲み屋の看板が浮かび上がってきました。浜頓別の街中に入っていたのです。明かりのついた店は少な目で、昼に比べてちょっと寂しい印象。18:56、今回も定時に浜頓別ターミナルへ着きました。


飛行場前からのおじちゃんはここで下車。代わって桃井かおり似の女性がおじいちゃんに見送られて乗ってきました。タバコを吸うため降りたら「18時59分発音威子府行きです」とアナウンスが流れました。夜ですが券売所の女性が残っていて、放送しているようです。鉄道は消えましたが、駅の風情は今も残っていました。


ここで再び好象に電話しました。まだレッカーは着かず。近くの工場の人が気の毒がって休憩室に入れてもらえたそうです。支えになってくれる人たちがいて良かった。


3人で浜頓別を発車。寂しい旅路になるなあと思いきや、浜頓別高校で男女6人が乗ってきました。ジャージーも私服もいます。部活の練習、買い物…バス通仲間が日曜も集ったよう。車内がにぎわい、少しホッとしました。真っ暗な峠をぐいぐい登って行き、下頓別で桃井かおり似の女性が下車。さらに走って遠くに明かりが見えてきて中頓別到着です。ターミナルで生徒1人、本通で3人が下車。長寿園前で生徒1人と、元々乗っていたおばちゃんが降りました。


中頓別の中心部が終わり、車窓がまた真っ暗になりました。オレンジ色に変わった矢羽根に導かれるようにバスは右へ左へカーブを駆け抜けます。20分以上走り、豊平入口でようやく最後の生徒が下車。総裁の貸し切り状態になりました。音威子府まであと21km。時刻表では30分の距離です。


20:05、音威子府までの最後の集落である小頓別を通過。バスは一気にスピードを上げました。音威子府村に入ってからのぐねぐね道も手慣れたハンドルさばきで走り抜け、遠くに宗谷線のガードが、家が固まっている場所が見えてきました。光こそ弱々しいですが、確かに音威子府です。思わず笑顔になりました。


昔は人口が多かったとはいえ、集落以外が真っ暗なのは同じだったはず。光る矢羽根なんてなかったでしょうから、もっと暗かったかもしれません。国鉄天北線の利用者はどんな思いで目的地到着を待ったのでしょうか。音威子府や稚内の明かりを見たときの喜びは今以上だったでしょう。バスと列車。旅情は随分違いますが、国鉄天北線を半分部ぐらいは追体験できたと思います。




駅舎には20:53発の稚内行き特急に乗る人、降りてくる客を待つ人が5,6人いました。さらに札幌発枝幸行きの都市間バスがほぼ満席で到着。日曜日なのでみんな札幌へ買い物に行ったのでしょう。音威子府駅は昼間以上のにぎわいをみせていました。鉄道の便も客も係員ももっと多かった時代、いつもこんな感じだったのかなあ。


枝幸行きが発車すると、今度は天北線の小石行きバスが駅前に止まりました。枝幸行きバスと稚内行きJR特急に接続。鉄道が廃止になってもダイヤがちゃんと生きているのです。しかも鉄道時代は浜頓別止まりだったのが、猿払村の小石まで延びています。終点小石着は23時半前で、人口規模から考えると猛烈に遅い時間。廃止から20年余、よくぞここまで残してくれたと思います。総裁が乗って少しでも路線維持の足しになればうれしいのですけど。


20:53、轟音とともに特急スーパー宗谷3号が滑り込んできました。


近未来的フォルムと力強さを併せ持つ、田舎の小さな駅には不釣り合いな列車から4,5人が下車、天北線バスに吸い込まれていきました。ガガガガガと腹の底に響くエンジン音をぶちまけて特急が発車。バスも間もなく発車しました。宗谷本線の主役からバトンを受け、一直線に天北峠の闇を切り裂く小石行き。鉄道時代と変わらず街の営みと希望をつなぐ姿に、スーパー宗谷に決して劣らないたくましさを感じました。天北線バスは今も鉄道のDNAを宿していました。


そして誰もいなくなりました。幸い駅の電気はついたまま。宗谷バスの事務所にまだ人がいるようです。しかし駅舎内は明かりを求める虫が入り込んで落ち着きません。外でレッカーを待つことにしました。昼間宗谷バスのウテシに吠えた犬は眠れないらしく、所作なさげに小屋のあたりをぐるぐる歩いています。ちょっと落ち着きがないけど、静まりかえった駅前では総裁唯一のパートナーです。


最初文庫本を開きましたが、かなり読み進んでいたため、あっという間にラストページ。少しボーッとしてみることにしました。


駅前の家は明かりが付いていますが、会話もテレビも音もしません。北海道の家は寒さに備えて壁や窓が厚いからでしょう。国道40号(宗谷国道)が通っていますが、クルマはなかなか来ません。道北は音のない世界なのだなと思いました。


しかし、一服してふーっと息を吸い込むと…風の音がしてきました。ブンブンと虫の営みも、天塩川の流れも耳に入ってきました。音の世界なんてとんでもない。自然はかくも重厚なハーモニーを奏でていたのです。都会では主旋律となるクルマの音も、ここでは完全に伴奏。広島にいる時より聴覚が鋭くなった気がしました。


携帯をいじろうと尻ポケットから取り出したら、ストラップの一部が取れてなくなっていました。一瞬しまったなあと思いましたが、道北に足を踏み入れた証しが残せたと考えれば気にならなくなりました。と、一台のクルマが音威子府の駅前広場に入ってきました。好象カーを載せたレッカーです。21時を過ぎていました。作業は思った以上に難航したようです。




クルマはボンネット部分が大破。ぐちゃぐちゃになっていました。これでケガがなかったことが奇跡。好象が無事で本当に良かった。胸が熱くなりました。総裁が乗って、いざ名寄へ出発です。


音威子府で別れてからの話を聞きました。まっすぐ宗谷国道を北上。道の駅なかがわでカントリーサインマグネットを買っていただいた後、不意に眠気に襲われたそうです。早朝小樽に着いてから運転しっぱなしだから無理もありません。そして一瞬意識が飛んだ次の瞬間、目の前にガードレールが迫っていたそうです。こちらの都合で約束時間を設定してしまったために、疲れさせ、事故を起こさせてしまいました。「すまん」。ひと言発するのが精一杯でした。


好象は黙りこくってしまいました。長年乗ったので1,2カ月後には廃車にする予定だったらしい。でも突然「その日」が来れば、誰だって凹みます。車内が重い沈黙に包まれました。


ここで総裁がすべきこと。そう、好象とともに前を向くしかありません。まずはこの沈黙を破らないと。それに名寄で泊まる場所を探さないと。音威子府で待っている間、携帯の楽天トラベルで検索しましたが、大都市でも観光地でもない名寄だとほとんどヒットしなかったのです。


レッカー業者さんは2人で、1人が社長で1人が若手の社員。社長さんに「泊まるところ、どこかありますかね?」と水を向けたら、部下に問い合わせてくれました。こちらも広島支部長に頼んで一覧をメールしてもらったりして、条件のすり合わせ。小ぎれいで朝食が付いているホテルに決めました。


ホテル談義がきっかけで、社長さんと色々お話することができました。冬場になると救助が大変で、社長さん曰く「命がけになるケース」が出てくるから、民間保険会社の手配を受けないことにしている整備工場が多いそう。でも誰かが助けてあげないとと思い、社長さんの会社では申し出を受けています。きょうも夕方まで仕事をしてから駆け付けてくださいました。「やっぱりJAFに入っておいた方がいいよ」。説得力があります。


このほか、昔業界の集まりで広島へ行かれた思い出、道路整備が進んで旭川は素通りして札幌まで出る人が増えたといった話…とにかく会話を絶やさないようにしました。旭川云々の話は相当深刻だったようで、2010年に入って宗谷バスが稚内~旭川線の廃止を打ち出しました。


電気自動車の未来について話すうち、名寄の街が見えてきました。業者さんはてっきり小さな町工場かと思っていましたが、結構大きな会社でした。9月上旬だというのに少し底冷えする工場に入庫。好象があすの手続きについて話を聞き、22時すぎに工場を発つことになりました。何と、社長さんにホテルまで送っていただきました。本当にありがとうございました。




ホテルは学生向けマンションみたいな造り。中は暖炉付きの広いロビーがあって、もしかしたらカラオケボックスを転用したのかもしれません。部屋を遊ばせるよりはいいやと思ったのでしょう、シングルの料金でツインに泊まれました。風呂、トイレ別々で総裁のマンションより広い部屋でした(笑)


と、隣の部屋に陣取った好象が小さな包み紙を持ってきました。


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カントリーサインマグネット!! まさかこんなことになるとは思わずにお願いした一品。ありがとう。


このまま寝ては湿っぽくなるだけです。「よし、飲みに行くぞ!」と好象を引っ張って勢いよく出発しましたが…街自体がそんなに大きくない上、日曜の夜。ほとんどの店が開いてなく、チェーン系の店も23:30ラストーオーダーです。これは参ったなといったんホテルに戻って、フロントに聞いてみました。部屋に姉妹店の焼鳥屋を宣伝する紙がありましたし。


姉妹店は日曜休み。でも、別のお店を紹介していただけました。フロントの人が電話すると日曜も大丈夫とのこと。店は入口のカウンターこそ狭いですが、すぐ奥に広い広い座敷があって、まるで田舎の民家のようでした。初老の夫婦が切り盛りしていて、頼めば何でも作ってくれそうな気さくな感じ。学校や職場、サークルの人たちと飲み明かすにはうってつけな、生活圏にあれば重宝する店です。気持ちを切り替えて、あすに向かって乾杯しました。


会計のとき、ご主人と「日曜も開いていて助かりました」「ウチは年中無休なんですよ」と話していたら「××さん(総裁が泊まっているホテルの名前)は姉妹店があるのに、よくお客さんをウチに紹介してくれて。本当にありがたいんですよ。よろしくお伝え下さい」としみじみ語られました。


レッカー業者の社長、ホテルのフロントさん、そして居酒屋のご主人。真冬には氷点下30度近くまで冷え込む名寄。自然が厳しいからこそ人間どうし寄り添い、助け合って生きる。北の果ての「きずな」にたくさん触れ、そしてたくさん助けていただきました。また来ます、名寄。
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北海どうでしょうⅡ 20 

8.音威子府14:54→17:00さるふつ公園前(宗谷バス)小 石 行

(運賃は2260円)




最初の遅れはもう取り戻したようです。バスは2分ほど時間調整して発車。長寿園前から乗ってきたおばちゃんは、中頓別ターミナルの次、旭台入口で降りていきました。総裁の貸し切り状態がスタート。ここで中心部は終わり、あっという間に街並みが途切れました。


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そして「次は自動車学校前」のアナウンス。こんなところに!? あまりにもびっくりしたので家に帰ってから調べたら、全国でも珍しい「町立」の教習所らしい。ほかの教習所はバスで3時間かかる稚内か、100km以上離れた名寄、紋別にしかありません。中頓別はちょうどエアポケットになっています。クルマがないと間違いなく生きていけない地域。民間ではとても採算が取れないが、地域の生活を守るため町がお金を出しているというわけです。


日曜日なので休みなのか、構内はがらんとしていて隅に除雪車が3台止まっていました。町内に信号機は数えるほどしかないので、ここで免許を取っても都会に出たら苦労しそう。でも雪道にはものすごく強くなりそうです(^^;


さらに次のバス停が「スキー場前」。中頓別では遠くまで行かなくても、中心部から徒歩圏内にあるのです。広島とはまるで感覚が違います。ここで再び北緯45度を通過。「寿」というめでたいバス停を境に家も途切れました。


ここで気付きました。バス停に貼ってあるのが、主要バス停だけ記した路線時刻表なんです! 宗谷バス公式サイトでダウンロードできるアレ。


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つまり、今いるバス停発の時刻がアバウトにしか分からないのです! 猛烈にエリアが広いので仕方ないかもしれませんが、せめて町別に作るとかもう少し親切にできないものですかねえ。冬場は半端なく寒い地域なので「早めに出て待っておこう」が少し減るだけでもだいぶ楽になると思います。


トンネルと峠を1つ越えたら浜頓別町に入りました。「浜」の字が付くぐらいなのでオホーツク海沿岸の町だと思っていましたが、意外と内陸まで町域が広がっているようです。


間もなく中頓別町内の地名と同じ「下頓別」地区に。こちらは平地が広い分、陽が良く当たり、中頓別側より気持ち明るい感じを受けます。「山村留学集落」なんて看板や寄宿舎らしき平屋が見えました。下頓別は集落120戸中80戸が地元の推進団体に参加し、地域ぐるみで山村留学を呼び込んでいるそう。特に家族ごと移住するケースを推していて、定住の意思があれば土地100坪を無償提供。町から3年間月3万円の補助金が出るらしい。心が揺らぐ方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。


もっとも浜頓別町は財政健全化団体入りするなど家計が火の車の状態。留学への補助金が議会でやり玉にあげられたこともあり、先行き不透明です。下頓別の場合、町以上に地域がイニシアチブを取っているようなので少々のことなら大丈夫と思います。しかし、学校統廃合があった場合には留学制度自体が成り立ちません。地域の活気ある存続が薄氷の上に成り立っていることを痛感します。


下頓別を過ぎ、車窓には再び牧草地が続きます。旅の疲れと車内のほどよい温度に、ついついウトウト。と、好象から電話がかかってきました。ん? バスに乗っていることは分かっているのに、メールじゃなくて電話?


「もしもし、事故を起こして大変なことになっているんだ。雄信内のあたり。道の駅に寄ったすぐ後に」


!!!!!!!


半分寝かかっていたこともあり、一瞬思考が止まりました。そして「事故を起こして」が気になってすぐに聞き返しました。


「相手はいるのか?」「いない」「けがは?」「今のところは大丈夫」


どうやら単独事故で、体は大丈夫なよう。何より携帯で電話ができています。救急車で運ばれている最中や病院で治療を受けているなら電話どころではありません。命にかかわったり、相手がいて裁判沙汰になるようなことにはなっていないようです。ひと安心しました。


どうやら最悪の事態ではないらしい


時刻表を思い出します。確かあと20分後、16時半前には浜頓別ターミナルで休憩があります。貸し切り状態とはいえ、車内で通話を続けるのはちょっと。いま警察を呼んでいて、しばらく事態は動きそうにありません。山中で電波も途切れがち。浜頓別でかけ直すことにして、いったん電話を切りました。


メールで対処法をアドバイス。事態が動いたら連絡を入れるよう打ちました。


下頓別4町内を過ぎると、ゆるやかな下りが急に。ぐねぐねした坂で一気に山を駆け下ります。農試住宅前でなだらかな道になり、一気に家が増えました。浜頓別の中心部です。浜頓別高校を過ぎた直後に音威子府行きとスライド。時刻表を持っていればこの便があることが分かって、音威子府に折り返せたのですが…後の祭りです。広い広い歩道がある、まるで新興住宅地みたいな街路を抜けて16:12、浜頓別ターミナルに着きました。


かつて国鉄天北線と興浜北線の乗換駅で、現在も枝幸行きバスとの接続場所。町立図書館が入居しているとはいえ、立派を超えて「威容を誇る」と言うべき建物です。天北線が廃止になったバブル期の名残を感じました。町の人が遠くへ行くハレの場所だけに気合を入れたのでしょう。音威子府同様、発券窓口もありました。


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早く着いて良かったと思いましたが、帰宅後に時刻表を見るとこれが定時。人間の記憶ってあいまいですね。


好象に電話すると、保険会社を通じてレッカーを頼んでいるそうです。場所が悪くなかなか応じてくれる業者がいないよう。レッカー? 念のため聞き返すと、


クルマが大破して自走不能らしい。


物損事故とはいえ結構オオゴトです。このときやっと状況を理解しました。心細いだろうから早く合流したい。さっきの音威子府行きに乗れれば…。時刻表をクルマに置いてきたことが悔やまれます。


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レッカーは稚内か名寄から呼ぶことになるみたい。稚内だとこのまま旅を続ければいいが、名寄だと戻らないといけません。バス停の時刻表を見ると、次の音威子府行きはさるふつ公園前18:08→浜頓別18:59までなし。


とりあえず名寄になっても稚内になってもいいように、予定通りさるふつ公園へ行くことにしました。折り返すとして、さるふつ公園も浜頓別も結局同じバスになります。現場の場所を考えると稚内からレッカーが来る可能性が高そうですし。






3分ほど止まって16:15に発車。ターミナルを出ると商店街です。中頓別と違い、ほとんどの店が開いて活気がありました。クッチャロ湖など見どころもあるので旅館もちらほら。ちなみに100年前、町内のウソタンナイ川で砂金が発見されたころは全国各地から4000~5000人、一部説では1万人以上が浜頓別に殺到し、日本版ゴールドラッシュの様相を呈したそうです。


街中で左折して宗谷岬へつながる国道238号(宗谷国道)へ。大通り3丁目を過ぎて川を渡ると、もう家並みが途切れました。と、北見ナンバーの軽自動車が追い越しをかけてバスの前へ強引に割り込んできました。女子を助けるなど温厚そうなウテシでしたが、一気にスイッチが入ったらしい


まずは激しくクラクション。5回、10回じゃあ済みません。ハンドルの丸い部分を叩きまくり。ウトウトしかけていましたが、一気に目が覚めました。次は猛烈なパッシング。巧みなフィンガーテクでライトレバーを操ります。


軽乗用車も最初はブレーキを踏むなど抵抗したようですが、最後は逃走。去り際、さらにクラクションを連発しました。広島の赤いバスもよくワヤをしますが、それをはるかに超える壮絶バトル。それまでののんびりムードが一転、ガクガクプルプル (((( ;゚Д゚)))) モードになりました。バスとケンカしちゃあいけません。


軽乗用車が見えなくなると、まるで何もなかったようにバスはゆっくりとした走りに戻りました。どこまでも広がる牧草地と湿地。その真ん中を国道がまっすぐ伸び、まるで洋画のワンシーンみたいな、突き抜けた眺めです。オロロンラインとともにライダー、チャリダーに愛される理由が分かります。普段いかにせせこましい場所で生きているかを思い知りました。


16:25に日本最北端の村、猿払村入り。間もなく飛行場前というバス停がありました。ただっ広い草原だけがあり、とても空港があったようには見えない。このときはバブル期に流行った農業空港の跡地かと思いました。


帰宅後調べると太平洋戦争末期に陸軍が飛行場を建設したんですね。多くの朝鮮人・中国人労働者が劣悪な環境の中で命を落としたといいます。飛行場自体はほとんど使われることなく役目を終えたそう。1955年に天北線の仮乗降場(当初は駅ではなかった)を設ける際、周囲が原野で何にもなかったので「昔の名前」を引っ張り出しました。駅は廃止になりましたが、バス停名として残り、悲しい歴史を今に伝えます。あえてか、成り行きかは別として、改称しない宗谷バスに見識を感じました。


飛行場前と同じく天北線の駅があった浅茅野にさしかかると牧草地がいったん途切れ、十数軒の集落が見えてきました。商店もあります。と、道ばたに道警パトが止まっていました。見ると、誰かがクルマをトラクターで畑に引っ張り込もうとしています。警官はトラクターに向かって何か叫んでいます。何だったんだろう…?


うーんと考えるうち、オホーツク海沿いに出ました。海と反対側には吹雪避けが連なるように。浜猿払で久しぶりにあった信号を左折し、いったん国道に別れを告げます。あれ?どんどん山側に行くんだけど…。確かこれから行く「さるふつ公園」って海沿いなんだけどな。「?」がいっぱいアタマに浮かびます。もしかして客がいないから猿払村の中心部までショートカットするんかな?


疑問はすぐに解けました。何もない林の中を10分ほど走行。急に集落が現れて猿払バス停に着きました。


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このやたら広いロータリーは…天北線の駅跡! 廃止代替バスなので駅があった場所まで遠回りしていたのです。さらに言えば途中からは線路跡を転用した道路を走っていました。すぐには海沿いへ戻らず、駅があった芦野も経由。ちょっと恐い響きの猿骨で国道に戻りました。運賃表が2260円になって、ついに「さるふつ公園」到着です。音威子府からたっぷり2時間。日が暮れかかっていました。


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まずは日本最北端のカントリーサインマグネットを買いました。オフィシャルの売店らしきものがなく、どこで買えるのかなあと探したら管理事務所の窓口にありました。


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せっかくここまで来たので海の方へ行ってみました。


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ビョウビョウと風が吹きつけ、ザーッと大きな音を立てて波がブロックにぶつかります。暗くなって気温も下がったからでしょうか、9月だというのに、海は冬のにび色に染まり始めていました。ツーリングサイトを見ると、夏の昼間は一面コバルトブルー。人間同様、海にも色々な顔がある。北の果てに来て実感することができました。


海が一番怖い表情を見せる真冬の夜、一隻の貨客船が当地沖で座礁、沈没しました。ソ連の「インディギルカ号」。1939年12月12日未明、暴風雨に巻き込まれ、宗谷岬の位置を見誤り、漂流した末の悲劇でした。猿払村総出で救出にあたり429人を助けましたが、700人以上が死亡したといいます。村の人々が後年慰霊碑を建てました。国境を超えた助け合いのシンボルになっています。


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歴史学者・原暉之氏の調べでは、インディギルカ号はシベリアの強制収容所にいた人たちを送還していたらしい。苦しい労働に耐え、やっと戻れると思った矢先のできごと。亡くなった人たちの無念を思うとやりきれません。




好象に電話しました。


警察の実況見分は終了。レッカーは名寄から来ることになったそう。稚内の方が近いので意外でした。距離がかなりあるので、到着は19時過ぎになるそうです。名寄に着いて手続きなどをしたら21時前。


とりあえず南へ戻ることが決まりました。折り返しのバスに乗れば音威子府には20:23に着きます。ところが時刻表にある接続列車は20:53発の稚内行き特急だけ。もしかして名寄へ行く列車はもうない? となると別手段で名寄へ出ないといけません。アタマをフル回転させて…そうだ、浜頓別から枝幸、雄武とバスを乗り継げば興部から名寄行きがあったはず。好象が乗ったレッカーを音威子府で待たせるのは申し訳ない。広島支部長に電話してJRのダイヤも含めてネットで調べてもらいました。


結果はすべて×。浜頓別から枝幸行きはあるものの枝幸から先の最終バスには間に合わない。枝幸から小頓別方面へのバスも同様。そして音威子府から南へ行く列車もない。仮にさっき浜頓別に着いた段階で南へ行っても、結局雄武で行き詰まってしまう。稚内行きは20時すぎまでなく、稚内に22時に着いても名寄へは向かえない。うーん。


結局、レッカーに便乗させてもらえるよう好象に頼んでもらうことにしました。1人ぐらいなら何とかなると信じて。自分のことで大変だろうに、すまん。あと音威子府20:53の特急に乗れない=稚内にきょう中に着けないことが確定したので、予約していた稚内のホテルをキャンセルしました。


と、一通り段取りが終わって時計を見ると音威子府行きのバスまでまだ40分あります。音威子府は駅そばぐらいしか食べ物屋がありませんでした。駅そばは確か夕方で閉まるはず。ヘタすると名寄に着くまで何も食べられません。道の駅で食事をとることにしました。


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ホタテフライ丼!
 猿払はホタテが名産。安定した漁業収入があることから、過疎地にも関わらず人口が増えているそうです。一つ一つのホタテがとっても大きくて食べごたえがありました。さすが産地。そぞろな気持ちにもしっかり染みるおいしさでした。
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適応力 

総裁が住むマンションできのうから外壁の補修工事が始まりました。42室ある建物なので、総裁の部屋周辺がうるさいのはわずかな期間だろうと思っていました。しかし、忘れていました。


角部屋に住んでいることを


外壁補修だから、当然側面も工事します。作業スタートと同時に猛烈な機械音が部屋に響きました。足場を固定するため、壁に何かを打ち付けているのでしょう。壁のすぐ向こうで工事しているかのような音のしかたです。


昼間の作業なので普通の方は仕事に出掛けて問題ないのでしょうけど、総裁は夜勤中心。つまり寝ている時間にドンドンガンガンやられるわけです。ろくに寝られなくて、きのうから寝不足気味。対策を講じないと、どうかなりそうです。足場を組むため駐車場は少し離れた代替地を使うことになり、ベランダに洗濯物が干せません。実家に疎開しようかなあ…。


それにしても人間の適応力ってすごい。ドドドドの中で寝付くまで時間はかかりますが、一応は眠れるんですよ。今回の一件で総裁、図太くなれそうです(^^;

やりすぎJALツアーズ 

前回更新(このへん参照)でご紹介した「青森~鹿児島バスツアー」を企画したJALツアーズ。よくよく見ると、さらに濃厚なツアーを企画していました。


大型車運転体験ツアーin農道空港2日間


北海道の新得農道空港へ行き、観光バスや大型トレーラーを転がしまくろうというツアー。公道ではなくコーチも付いているので普通MT免許で参加できます。運転をしない「同行者プラン」もあり、一緒に車内に乗ってビデオ撮影などできるそう。


登場車両は、何と総裁が新千歳空港~帯広で乗った現行ガーラ!!!このへん参照) 会場にはディーラーも待機し、ヲタの質問に何でも答えてくれるそう。かゆいところに手が届きすぎです(笑) 大きくなったら広電バスの運転手さんになりたい!と思っていた総裁、思いきり鼻息を荒くしましたが、AT限定免許では参加できないそうorz 無念です。


でも、JALツアーズはまだまだかまします。


日高本線ローカル列車と名車「三菱ギャラン」タクシーを乗り継いで「襟裳岬の春」を旅する2日間


ギャランΣキタ━━━━(゜∀゜)━━━!!!! 広タク(広島タクシー)でお馴染みだったあのカクカク車です。広島ではすっかり姿を消しましたが、北海道にまだ残ってたんですねぇ。3月末で廃車にする予定を、ツアーのため5月末まで延ばしてもらったらしい(・∀・) もう森進一「襟裳岬」を歌わずにはいられません。ツアーの説明にも「『襟裳岬』を口ずさみながら」とありますし(^^;


添乗員なし。新千歳空港からはローカル線を使います。NHKの深夜に流れる昔の映像を彷彿とさせる、ある年代以上の方にはたまらない旅だと思います。


ところがこのツアーの設定は5月下旬だけ。長期休みが取れない時期です。JALツアーズの今後の蛮勇に期待したいと思います。再生機構の皆さん、こんあ素敵なツアーを企画する部門を絶対合理化しないで下さいね。
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バス好きの夢 

バス好きの妄想がついにかないました!!!! 経営再建中のJALがとんでもないツアーを企画したのです。


青森発鹿児島行き高速バスを運行!「車窓だけを楽しむ」列島縦断バスツアー3日間


最初の8文字で完全KO。中身も徹底していて、途中バスから降りるのはSA・PAでの食事休憩と、バス点検・清掃中に日帰り温泉へ行くだけ。もちろん車中泊。夜でも車窓を眺められるように遮光カーテンを閉めない、という無茶ぶりです。どれだけバスと高速道路が好きか試される、恐ろしくストイックな旅になっています。


あ、ちなみに「人気席と思われる前方・後方エンジン付近・窓側(右/左)」(本当にサイトにこう書いてある)は追加料金が必要です。ツボを理解しすぎじゃろ(笑)


ただ、ストイックなおかげで羽田-青森-鹿児島-羽田の2泊3日で済んでしまう上、料金も56800円とほぼ実費でびっくりするほど高くはありません。


6月4日出発。ウチの職場は6月から夏休みが申請できる=行ける!!!と大いに浮き足立ちました。が、世の中そんなに甘くはありませんでした。6月5日から業界の労連行事が広島であって、ウチの労組がホスト役をせんにゃあいけんかったんです(T_T) きょうぐらい組合を呪ったことはありません…orz


というわけで2回目が企画されるよう、参加申し込みが殺到することを祈ります。バス好きよ、立ち上がれ!(笑)

北海どうでしょう 番外編 

総裁も利用した萌えっ子フリーきっぷ。沿岸バス公式ページ(このへん参照)によると、発売・使用とも当初予定の4月30日で終わることになりました。予想以上に売れ行き好調と一部で報じられていただけに、期間延長orレギュラー化することなく終わったのは残念です。


2chあたりでは「補助金が切れるから止める」という説がもっぱら。ネットを見ると、きっぷ自体を取り上げるBlogは多数ありますが、使っている人は意外に多くないのかなと思えました。途中からは札幌発「はぼろ号」乗車券とのセット販売もPRし、てこ入れを始めましたし。本当に沿線自治体から補助金を受けているなら、地域に思ったほどの経済効果がないと延長は難しいでしょう。


もっとも、いつも予想の斜め上をいく沿岸バスのことですから、さらに使い勝手の良いきっぷが登場する前兆なのかもしれません。例えば宗谷バスと組んで道北への新しい回廊を作っても面白いなあと。過去には路線を共同運行したこともありますし。妄想を膨らませながら、沿岸バスが毎年全力投球する4月1日特設サイトを待ちましょう。
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北海どうでしょうⅡ 19 

カントリーサインマグネットを買って、まずはコーヒーでも飲んで一息入れようという話になりました。とはいっても音威子府駅周辺に喫茶店なんてないので、好象カーでセイコーマートへ移動。缶コーヒーで乾杯し、旅の話に花を咲かせました。そう、彼はクルマで来たのです。新潟まで走って夜行フェリーに乗船。けさ小樽に着いて、ここまで来たそう。トランクにはキャンプ道具がこれでもかと積んでありました。稚内へ行った後は、道東を野営して回るとか。たくましいのう。


バスまでまだ1時間近くあったので、「ダルマ駅」を見に行くことにしました。ダルマ駅は貨車や車掌車など鉄道車両を駅舎に転用したタイプ。国鉄民営化でたくさんの余剰車が生じたこと、北海道に同時期たくさんの老朽化した駅舎があったことから、特に道内で普及しました。台車も連結器も取り外されたから、気付いたら「ダルマ」と呼ばれていたらしい。音威子府の一つ北側、さっき通った筬島駅へ向かいました。


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さっきはメールを打っていて気付きませんでしたが、本当に車掌車だ! 無骨な鋼鉄にちょっぴりずれながら開いた窓。一時期あったコンテナタイプのカラオケボックスを思い出しました。


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中は座布団敷きのベンチもあって、地域でちゃんと管理されているよう。奥には便所もありましたが…怖くて開けられませんでした(^^; 待合室の中、結構虫がいて…。(別の方のホームページによると、当駅の便所は開けるだけで待合室内の空気が大変なことになるらしい。開けなくて正解でした) 大自然の宿命ですね。


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1922年開業。かつては貨物の積み卸し場まであった駅ですが、今では民家が数軒建つだけです。いや、豊富~音威子府を乗った感じでは人工的な建物があるだけマシなのかもしれません。少し湿っぽい風が吹くホームで、しばらくたそがれました。


そういえば駅舎と好象カーが一緒に写ったスナップ、実はこれが貴重な一枚となったのです。




再び音威子府駅へ。バスまでまだ30分以上あったので建物の中にある天北線資料室を眺めることにしました。


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北海道開拓が進む中、鉄路も少しずつ道北へ伸びていきました。「天塩線」として旭川から建設がスタート。1903年には名寄までつながりました。日露戦争中は工事が止まったものの、戦後は新たに領有した南樺太とをつなぐ連絡線としての使命も担うことに。12年には音威子府まで開通し、さらなる延伸を計画することになりました。


ここで日本海側を目指す現在の宗谷本線ルートと、オホーツク海に出る天北線ルートの2案が浮上しました。どちらを優先すべきか。宗谷本線ルートには天塩川の水運が既にありました。一方で天北線側は開拓地が点在するのに交通手段がない。そこで天北線ルートで建設することになり、22年、稚内(現・南稚内)まで鉄道網が完成しました。当時は宗谷線を名乗っていました。


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ところが、26年には距離も所要時間も短い宗谷本線ルートが開業。わずか4年でメーンルートの座を奪われ、30年には「北見線」に名を変えました。太平洋戦争の戦況が悪化したときでさえも、樺太連絡のおかげである程度の本数を維持。61年には「天塩国」「北見国」から頭文字を取った「天北線」になり、急行「天北」の運行も始まりました。日本の最果てにふさわしい線名は戦後生まれだったのです。


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しかし過疎化の波には勝てませんでした。利用者は減少の一途。道路事情の問題もあって国鉄改革のさなかも廃止をまぬがれ続けましたが、民営化後の87年、ついに廃止になりました。現在は稚内に本社を置く宗谷バスが廃止代替バスを走らせています。


そして、バスでさえ国鉄天北線のルートをたどれなくなるようです。2009年3月に稚内市がまとめた「稚内市地域交通総合連携計画」に、市が2010年度、バスルートを天北線経由から宗谷岬経由に変更する方針が記されています。稚内市・猿払村境区間の利用が芳しくないため。つまり天北線跡を公共交通でたどれるのは本年度が最後なんです。旅人達の脳裏に深く刻まれた天北線の記憶を少しでも共有したいと思い、今回の旅に天北線バスを組み込みました。


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当時の鉄道用品や写真を見て目を閉じると、たくさんの人が行き交った頃の音威子府が思い浮かびます。でも目を開けるとぽっかりと空白になったホームがあるだけでした。


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最近の「鉄道ブーム」にのっかって、こんなポスターがありました。


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auもよく調べたなあ。まあそれなりに鉄道好きが来ると見込まれているうちは、まだ大丈夫だと信じたいです。




ここから総裁はバスで、好象はマイカーで稚内へ向かいます。到着後はロシア料理で一杯やることに。国道40号を通るので、途中の「道の駅なかがわ」でカントリーサインマグネットを買っていただくようお願いしました。趣味を理解してくれ、「自分もバスに乗りたい」ではない人って本当にありがたい。旅行バックはクルマに預け、コンデジとメモセットだけの身軽な出で立ちになりました。(ここで天北線時刻表を入れなかったことを後で後悔しました)


外には14:50発と16:18発の小石行きがスタンバイしていました。赤と白のシマシマなので広島バスを彷彿とさせますね。事前の調べでは観光タイプも路線タイプも走っているそうで、きょうはアタリ日みたい。ここから長い時間乗りますので。


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そして駅前のバス停は、東急グループらしく東急バスと同じ型枠でした! 宗谷バスは旅から帰った後の09年10月、東急グループではなくなりました。東急が宗谷株をファンドに売却したため。このバス停が過去のものになる日が来るかもしれません。


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音威子府駅には宗谷バスの発券窓口があります。札と小銭をジャラジャラ運賃箱に入れるのは大変なので、ここで乗車券を買うことにしました。「さるふる公園前まで」と言うと、台紙に「音威子府ターミナル」「さるふつ公園前」ゴム印で押して日付などを書き、即席乗車券が完成。何ともアナログです。でもこれが一番早くて効率的なんですよね。


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音威子府~稚内の直通便は1日3本のみ。昼前の次は18:05発で、その間2本は稚内市の手前・小石までの区間便です。夕方まで待ってもいいのですが、それではあまりに芸がないし、夜は写真が撮りにくい。割高になるのを覚悟で、小石行きに乗って途中下車することにしました。


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立ち寄り先に選んだのが日本最北の道の駅「さるふつ公園」。村営温泉併設で、何とか3時間過ごせると考えたからです。音威子府からオホーツク海へ出る途中に道の駅「ピンネシリ」もありますが、「さるふつ公園」の営業時間の都合で、2つのうちのどちらかしか立ち寄れません。「最北」を優先し、ピンネシリは泣く泣く下車地から落としました。


発車時間が近付き、バスがやって来ました。好象に見送られて出発です。また7時間後に会おう!


8.音威子府14:54→17:00さるふつ公園前(宗谷バス)小 石 行

(運賃は2260円)




時間ギリギリになって発券窓口の裏口からウテシが走って出てきました。向かいの家の犬に吠えられながら乗車。総裁のほか、大学生っぽい女子2人も乗ってきました。ウテシに中頓別までいくらか聞いています。どうやら合宿か研修へ行くみたいで、ウテシに手伝ってもらい大きな荷物を積み込みました。


再びウテシが何かを取りに発券窓口へ戻り、少し遅れての発車になりました。扉が閉まると「発車します。ご注意下さい」と少ししっとりした合成音声。最北端のバス会社ですが機材は沿岸バスより進んでいるようです。


次のバス停は「北線」。いきなり停留所間隔が開いているらしく、運賃表は260円スタートです。国道に出て最初の角を右折、宗谷本線をくぐったら、本当にあっという間に集落が終わってしまいました。雨上がりで、もくもくと霧が立ち上る山々。少し神秘的な眺めになった谷を縫うように国道275号(頓別国道)が続きます。牧草地すら途切れそうな場所に北線バス停がありました。茂みの向こうに家があるのかなあ。


上音威子府を過ぎて天北峠越え。ぐねぐねした登り坂をぐいぐい登っていきます。そんな中、「上音威子府こ線橋」とう標識を発見しました。ローマ字表記もある、明らかに廃線後に建てられたタイプ。こんなところで記憶は継承されていました。何か痕跡が残っていないか目を凝らすと…少しだけ茂みの丈が低い一本の道筋が。恐らく線路跡でしょう。しかし、確信を持てないぐらい自然に還っていました。


車内アナウンスが「次は秋田入口」と3つめのバス停名を告げると、音威子府からの運賃はもう570円になりました。北線からでも320円。鉄道並みの間隔ですが家はおろか、人工的な建物が何もないのだから仕方ないのでしょう。15:05、天北峠のてっぺんで中頓別町に入りました。


中頓別町に入ると急な下り坂に。右に左にカーブするうち、最前列席下に置いた女子の荷物が出入り口ステップに落ちてしまいました。慌てて拾おうとする女子に「そのままでいいですよ。どうせこの先乗ってこないから」とウテシ。実に大らかでイイ話ですが、裏返せばローカルバスの厳しい現実を突きつけています。


坂を下りきってようやく集落が見えてきました。小頓別で左に曲がり旧天北線駅に建ったバス乗り場を回ります。かつては歌登町営軌道との乗換駅で、木材を運び出すため多くの側線がありました。今はバスロータリーと広い広い公園です。駅の看板だけ残っていました。


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上頓別あたりでようやく日が差してきました。牧草地の雨露が輝き、大地全体を明るく照らします。神々しくきらめく車窓に女子達も「きれい」。旧国名由来とはいえ「天北」とは上手くつけたもので、上り坂を進むといつか天に昇れそうな感覚になりました。


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坂を登り切ると両側に駐車場が広がる一角に出ました。道の駅「ピンネシリ」です。ここで少し時間調整。カントリーサインを買いに行きたい、という誘惑にかられますが、道の駅とバス停が少し離れているので断念です。バス停の銘板が取れかかっていました。日帰り温泉兼ホテルがある中頓別町の観光地ですが、オートキャンプ場があるぐらいクルマが主役の場所。バスは脇役扱いのようです。


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発車すると一転してゆるやかな下り坂に。車窓には、真っ白いビニルに包まれた枯れ草ロールが点々と続きます。ごろんとした形はダンゴムシを思わせます。


「次は周麿」とアナウンスが流れ女子から笑いが起きました。珍しいし、思わず「おじゃる」と言いたくなる変わった地名だからでしょう。「さっきの敏音知(ピンネシリ)といい、アナウンスがないと読めないよね」。そう、北海道のバス旅はバス停ごとの地名クイズなのです。


松音知1号線でチャリに乗ったおじさんが横を走っていきました。このバスに乗って初めての通行人です。女子も驚いたようで「最初牛かと思った」。…ホント、いいリアクションをする人たちです。「中頓別町って日本一広い町らしい」なんて大嘘を話していたので道外の人かと思いましたが(日本一広い町は足寄町)、セイコーマートを「セコマ」と略していたので、どうも道産子みたいです。札幌あたりに住んでいると道北は県外感覚なんかなあ。


共進会場前の先でようやく中頓別の市街地が見えてきました。ウテシの予言に反して長寿園前におばあちゃんが立っていたので、初めてのバス停停車。車外に「左に曲がります。ご注意下さい」の合成音声が響きました。女子が荷物をどけて、おばあちゃんが最前列の優先席に座りました。


長寿園前の先で右折。半分シャッター通りながらちゃんとした商店街があり、子どもが歩いていたりします。総裁は意外に街だなあと思いましたが、女子たちにとっては想定外だったらしく「ひゃあー」と悲鳴。「ここが(確かに)中頓別よね?」と顔を見つめ合っていました。


音威子府を出るとき、見送りの人に「また5日後ね」と話していたので、5日はここで生活しないといけません。帰りのバスでどんな感想を話すのでしょうか。中頓別バス停で、ウテシに手伝ってもらいながら荷物を下ろして降りて行きました。音威子府からここまでほぼ50分。


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ペンションみたいな、とんがった屋根が印象的な宗谷バス「中頓別ターミナル」。ご多分に漏れず、天北線廃線後の駅跡に建ちました。ターミナル周辺とロータリー以外は特に区画整理されておらず、今も駅前の趣を残しています。ネット上の写真を見る限り、旧駅のコンクリ駅舎も幾何学模様の窓があってなかなかの味わい。でも、バスは絶対に残そうという意気込みが先に出たのでしょう。手入れされた鉢植えの花々に、今も残る強い思いを感じました。


ターミナル2階は天北線のミニ資料館だそう。構内は天北線メモリアルパークという公園になりました。かつて天北線を駆け抜けたキハ22が今もたたずんでいます。ゲートボール場の休憩室になっているそう。今も昔もみんなが顔を合わせる場になっている-野ざらしで朽ち果てる車両がある中で、キハ22にとっても本望でしょう。(もちろん動態保存が一番幸せなんでしょうけどね)


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いすみ気動車教習所? 

ちょっとびっくりするニュースを見つけました。ご存じの方もいるでしょうけど。


運転士求む ただし訓練費700万円負担を いすみ鉄道


公式サイト(このへん参照)に、もうちょっと詳しい説明があります。要は、前払いで700万円払う→1年半~2年間訓練を受ける(最初は2週間研修・学科段階で週1・実技段階で週3,4)→国家試験に合格→嘱託契約乗務員として採用、ということらしい。訓練中は最低賃金分だけ、嘱託乗務員となってからはフルタイムでも週1,2日でも乗務できるようで、後者なら月10万円程度の給料が出るようです。


路線バスを運転できる大型二種免許もタクシー運転手になれる普通二種免許も自動車学校で取れるようになりました。また、パイロットになる1つの方法として「数千万円かけてアメリカのスクールへ行く」という選択肢があるそうです。その鉄道版といったところ。航空会社出身の社長らしいアイデアです。


いすみ鉄道の運転手はJRからの出向、OBが中心。ベテランが多く世代交代時期が迫っています。しかし、存廃が議論されている同社には新卒者を雇う経済的余裕はない。窮余の策として、運転手希望者が会社再生の一端をも担う「自腹運転手」導入を決めました。


一瞬「おっ!」と思いましたが、「即金で700万円」に挫折しました。そんな金ないし。


社長ブログを拝見する限り、本気でプロパー運転手を育てたいという思いがあるようです。


でもこの条件だと、週末にクルーザーを乗り回すセレブみたいな人しか来ないような気がします。世代交代が必要なのにもっと年寄りが来そう。700万円をポンと出せる若い人なんてまずいません。いても総裁とは仲良くなれないタイプっぽい(笑) 


冷やかしを防ぐためある程度ハードルを高くする必要はあります。でもあんまり高くしすぎると訓練生が「俺はお客様だぞ」な態度になりゃあしませんかね? 経営資金の一部を出している=株主に近い存在だし。営業列車を運転するということは人の命を預かるわけだから、厳しい訓練が必要です。そしてお金に余裕ができて新卒者を採用したとき、社内の空気は大丈夫でしょうか? 700万円払って運転手になった人と、タダで運転手になった人がいるわけですよ。


公募で就任したいすみ鉄道の社長さんはとにかく精力的で、ユニークな取り組みを次々に実践しています。「自腹運転手」も非常に面白いし、1人か2人のやる気ある人を選ぶのに絶妙なアイデアだと思います。会社側の思惑通り進めば、ローカル鉄道が生き残る新しいスタンダードになるかもしれません。でも長期的視野に立って考えたとき疑問符も付きます。さて参加費5250円(このふるいのかけ方もすごいなあ)の説明会にはどんな方が何人来るのでしょうか。
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なおかつ「チーム青森」 

カーリング女子日本代表「チーム青森」には公式サイトがあるほか、各選手が個人Blogを持っています。


Googleで検索しながら色んなサイトを見ていたら、チーム青森2010年卓上カレンダーが発売されていたことが判明しました。今年に入ってからプリンターが不調で、職場の机に置く卓上カレンダーが作れていない状態。これはいい。3月なので「もうないかなあ」と思っていましたが…


某サイトで半額になっていました。もうね、即買いでしたよ。そして我が家に届きました♪


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半額で買った後ろめたさはありますが、五輪じゃない時期に応援することが大事なんです。総裁が1部買ったことで、選手の缶コーヒー代ぐらいにでもなるのならうれしい限りです(そこまで印税入らないか…) 選手Blogによると、チーム青森は五輪の余韻さめやらぬ中、6日からもう日本選手権だそう。本当にアタマが下がります。


そうそう、ネットで調べたら広島にもカーリングサークルがあるそうです。総裁でもできるのかなあ…。
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