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ゲリラ雪

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下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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発車! 1円電車を訪ねて2 

駐車場から「駅」へ行く途中、あけのべ振興館の前に機関車や客車が並んでいました。白金号はオレンジとスカイブルーという、鉄道車両ではあまり見ないカラーリング。廃止後に地元が塗り替えたパターンかと思いきや、当時からこの色だったらしい。鉱山は採掘優先でとかくくすんだイメージになりがち。少しでも明るくしようという思いがあったのでしょう。にぎわっていたころは都会さながらに何でもあったという鉱山街。東京や大阪の流行も入ってきていたのかなあ。

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このテの車両はとかく野ざらしになりがちですが、明延はちゃんと屋根がついていました。市町村合併の跡に路線を説明する看板も加わったよう。地域が「1円電車の記憶を大切にしておこう」という気持ちを持ち続けたことがうかがえます。運転を実現するためにはお金以上に意気込みが重要です。

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真っ青の機関車は、何と昭和17年製でした! 戦況がまだいい時期で、鉱業と軍隊が密接につながっていたからこそ登場できた機関車。60年経っても古くささを感じさせないデザインですね。実用一辺倒な造りがシンプルで見ていて飽きないし、何よりかわいらしい。

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運転席は横向きです。JRのDE10機関車(赤と白の凸型の車両)もそうですが、あちらは構内の入れ替え作業が中心でそんなに長い距離を走りません。一方で明延の軌道は6km・片道30分弱の行程です。一般鉄道と違っていろいろ危険がある坑道内は神経を遣うはず。運転室も窓も小さいので運転士は首と腰が痛くなりそうです。

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駅舎の壁で線路を敷く様子を紹介。みなさんいい顔をされています。ネットニュースの記事を読むと、作業スタッフの中にはかつて実際に明延軌道で線路を敷いた方もいらっしゃったそう。地域ぐるみだし行政も後押ししているので、熊野簡易軌道とは事情が違います。しかしここでも人と人との絆がレールを、心をつないでいました。

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1円電車乗り場に行くとちょうど到着したところでした。客車「くろがね」号と大阪の会社から格安で譲ってもらったというバッテリー機関車の2両編成。くろがねは貴賓車で、三菱の役員が視察に来たときなどに乗ったそうです。まさに「鉱山のグリーン車」。機関車はオープンエアになった分、運転士の作業スペースが広がりました。家族連れらが続々乗車。最初の1本は見過ごして写真を撮ることにしました。

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スタッフの合図で発車。JRの気動車と違って「ガガガガ」はなくとても静かです。まさにスーッと総裁の前を通り過ぎ、スピードがついたところでガタンガタンとレールの上を走る音がし始めました。

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カメラの列の前をゆっくり大きくカーブし、反対側に着いたところで逆向きに。J字型の線路を再び駅に戻ってきました。動画で撮るとこんな感じです。

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カメラの列の中には新聞・TVの記者も。脚立の人は神戸新聞の腕章を付けていました。そして列車から人が降りるとTVクルーが早速マイクを向け感想撮り。後ろで聞いていると、きょう来た人たちは鉄道好きの大きなお友達ではなく、昔1円電車に乗った地元の人、地元出身者が中心でした。どうりで、カメラの前を通り過ぎると殺気立った視線を感じたり、怒号が飛ぶような殺伐とした雰囲気がないわけです。(そんな自己中心的なヲタは鉄道好きの中でもごく一部なんですけど)

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ふと車庫を見ると、思ったよりレールが短い。これで機関車が入りきるのかと思いましたが、よく見ると車輪から車両端まで結構長さがある。何とかなりそうな感じです。

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さて、いよいよ総裁が乗る番です。

【追記】
YouTubeに現役時代の動画がありました。感動!

アーカイブ 明延よ永遠に(兵庫県・養父市)

最後の鉱石を追って 神子畑選鉱場(兵庫県・朝来市)
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ラピュタの山 1円電車を訪ねて1 

「一円電車」という乗り物を知ってますか? 兵庫県大屋町(現養父市)の明延鉱山で走っていた錫輸送用軌道の別名です。閉山から20年以上たった先週末、70mほど復活! 熊野簡易軌道の余韻が冷めやらぬ中、高度成長期の記憶をたどりに出かけてきました。


広島を朝5時に出発。竜野西SAで名物B級グルメらしい「辛辛モツぞうすい」なんてヘヴィーな朝ごはんを食べ、山陽姫路東ICから播但連絡道に入りました。朝来ICまで1950円。1000円高速さまさまです。


ナビに従ってICから山奥に走ると、斜面にへばりつく巨大なコンクリ構造物が見えてきました。明延鉱山の選鉱場だった神子畑です。ここで鉱石の中に必要な金属があるか仕分けていました。クルマを止めて見物している人も。かつて建物が立ち並んでいただろう広い更地があり、往年の賑わいが思い浮かぶよう。今は時が止まったように静まり返った集落でした。


ここを未来少年コナンと表現するか天空の城ラピュタと表現するか年代で分かれそう(´Д` ) 総裁年代はもちろんラピュタです。ラピュタにはトロッコが出てきたし。あれ乗ってみたかったんよねえ。




明延の軌道は採掘現場から、神子畑までの6kmを結んでいました。

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道路だと大回りしなければならない山を貫通。姫路方面へ行くのに、バスで山陰本線の八鹿駅に出るよりはるかに近道になることから、住民が作業員用の客車に乗せてもらっていました。地域の人からは「電車」と呼ばれていたようです。さすがにタダで乗せるわけにはいかないと思ったのか、一円だけ「運賃」を取っていました。だから一円電車。週刊誌などが紹介すると、たくさんの旅行者や電車好きが訪れたそうです。


しかし1987年、明延鉱山にも幕を閉じる日がきました。国内錫生産量の九割を占め「閉じない鉱山」との呼び名もありましたが、安い輸入鉱物には勝てませんでした。坑道は一部を残して水没処理。軌道も廃止になりました。車両と一部線路が、この地の生き証人として残りました。


閉山以降徐々に活気が失われていった明延。往年のにぎわいを少しでも取り戻そうと地元の人たちが目を付けたのが1円電車でした。


2007年10月、閉山20年を機に始まった「ふるさと明延まつり」で30mの仮説軌道を敷いて走らせたのです。その後常設軌道での運行を目指し募金を始めました。200万円集まった段階でバッテリー機関車を購入。今年、常設ルートの第1歩となる70mの敷設が完了しました。以前からこのまつりに行こうと思っていましたが、ローテが合わず毎回断念。今回ついに実現しました。




神子畑を過ぎると道路は猛烈なカーブと急傾斜で一気に標高を稼ぎます。最初ははるか高い場所に見えたガードレールにあっという間に到着。路面には猛烈な数のブレーキ痕が残り、走り屋のメッカになっていることがうかがえます。鉱山の鎚音が消え、車のエンジン音とタイヤのこすれる音が響くようになったとは…切なくなりました。


トンネルを抜けると宍粟市で、集落まで下ると神姫バスの車庫が。その先にあった終点・倉床を過ぎると再び集落が途切れ、またぐねぐねの峠に入ります。もう1回トンネルを越えてようやく養父市大屋町に。さらにカーブがきつくなった坂を下る途中にテントが立っていました。どうやらあれが明延鉱山跡を利用した探検坑道の入り口らしい。さらに下った場所が明延の集落でした。

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あれ? みんな反対側からやってきています。ナビに従ったのですが、どうやら裏ルートだったようです。入り口付近の広い広場に1円電車の立派な駅舎がありました。1円電車のコスプレ(かぶりもの)を付けた人やゴスロリの人がいるような…うん、にぎわうことはいいことだ(笑)

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1円電車に長い行列ができているのではと心配しましたが、まつりが始まったばかりで数人が待っている程度。広島を早朝に出たかいがありました。これまた何かの建物跡だったっぽい空き地に車を止め、はやる気持ちを抑えながら駅に向かいました。
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旅の終わりも白角水割り 2車中泊3日熊野旅9完 

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だいぶ日が暮れてきました。くまかんでだいぶ歩いたので眠気に襲われる可能性は高い。アタマがしっかりしているうちに走れるだけ走ろう、という方針でポルテを北に向けました。間もなく和歌山県の飛び地に入り、30分もかからないうちに奈良県に。こうやって考えてみると奈良って地味に広いですよね。。高速or高規格道路ができれば一発ですが、この険しい自然こそが世界遺産に決まった要因なので難しいところ。

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下北山村の池原で休憩し、出発したところで「↑橿原・奈良(国道169号) ←十津川(国道425号)」という標識がありました。「行きと同じ道を通るのは芸がないよな」「十津川といえば奈良交通の『日本最長路線バス』の通り道だよな」「あのバスって大和八木始発だから、大和八木にも帰れるよな」。さまざまな悪魔のささやきが聞こえてきました。現在17時。普通に帰るとちょっと早いし寄り道しようか。ウィンカーを左につけてしまいました。


ところが。待ち受けていたのは猛烈な山道。急傾斜とヘアピンカーブで、あっという間に池原がはるか眼下になってしまいました。脳裏の危険信号が鳴り始めました。十津川は北方領土を除けば国内で一番面積が広い村。南北も相当距離があるはずで、R425が村のかなり南に出てしまった場合、20時大和八木着はほぼ絶望的になります。20時はおろか、GSが閉まる21時さえきわどい。しばらく進むとキャンプ場?があり、付近の観光案内図がありました。確認すると…


やはり十津川村のかなり南側に出るっぽい。。


名誉ある撤退を決めました(´д`) 帰宅後調べたらこれが大正解。十津川村で国道168号に合流するまで2時間弱かかかるルートでした。あなおそろしや。


まじめに国道169号を北上。南吉野地域と大和地域を結ぶ唯一の幹線道路だからでしょう、ぐねぐねカーブなのに地元車は飛ばしまくっていて何度も道を譲りしました。あたりは真っ暗。と、川上村中心部の手前あたりから、ダム湖沿いにこうこうと明かりが照らしている工事現場が何カ所もありました。日曜夜なのに土木工事? そこまで突貫でやらんにゃあいけんことって?


家で調べてびっくり。見た目稼働しているように見える大滝ダムですが、まだ未完成だったのです。


東の八ツ場、西の大滝といわれるほど激しい反対運動があり、建設が大幅に遅れた上、試験湛水段階で地滑りにつながる亀裂が見つかりました。住民によっては住み慣れた土地を離れ、村内の代替地に移ったのに、さらに別の場所に引っ越すはめになったそう。この突貫作業は地滑り対策工事でした。大滝ダムは、ずさんな計画・調査が住民に必要以上の負担を強い、事業費を膨れあがらせた公共事業の「悪い見本」だったのです。wikiの大滝ダムの項目にはダム建設の正当性を主張する【要出典】の記述が並び、何ともいえない気持ち悪さを感じさせました。


18時過ぎには吉野町、19時過ぎには橿原市街地まで戻れました。幸い眠気に襲われることなく、道の駅奥吉野でタバコ休憩をしたぐらい。もう30分ぐらいくまかんにいれば良かったかなとも思いましたが…慣れない土地で無理な運転はしたくないですしね。


「2車中泊」のもう片方も南海バスサザンクロス。なんば23:50発なので、早く大阪についても仕方ありません。レンタカーを返すまでの時間つぶしに、マックに入り、iPodtouchでBlogを更新。20時にポルテを返しました。ちょうど目の前をバスが通り過ぎてしまったので、今度は歩いて大和八木駅へ向かいます。橋を渡ってJRの線路をくぐったら商店街のはじっこに。思った以上に歩きやすく、15分ほどで着きました。


快速急行で大阪に戻った後は日本橋を徘徊し、毎度の白角水割を買って30分以上前からなんば高速バスターミナルで待機。ちょうどほろ酔いになったころバスがやって来ました。乗り場探しに手間取って遅れてきた外国人を待って発車です。バスターミナルの坂を下りきった記憶もなく寝落ち。気付いたら「間もなく中筋駅に到着します」のアナウンスが流れていました。




その後くまかんさんは平谷中野駅の構内配線変更に着手。総裁が自分の足で、堀川ちゃんで歩んだレールはもうなくなっています。柚ノ木谷への延伸や新線など、くまかんさんのアタマの中にはたくさんの構想があるようです。進化し続ける熊野簡易軌道。次の一般公開となる来年3月にはどんな姿になっているのでしょうか。今から楽しみです。重ね重ねになりますが、くまかんさん本当にありがとうございました。また行きます。


(最後にお願い)
くまかんさんBlogにも注釈があるように、最近くまかんさんが留守の時にやって来て無断で敷地に入ったり、軌道運搬車を動かしたりする人がいるようです。いくら門や塀がないからといって、他人の敷地に勝手に入らないのは常識中の常識。くまかんさんが何年もかけて築いてきたご近所との関係を崩すことにもなりかねません。とても温厚で気遣いをする人が、あれだけ強く注意書きされる思いをご理解の上、事前の断りなしでの訪問はお控えくださいますよう、いちファンからもお願い申し上げますm(_ _)m
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発車! 2車中泊3日熊野旅8 

くまかんさんが再び堀川ちゃんにエンジンキーを差し込みます。


ぶるん!!


かかりましたよ、エンジンヽ(・∀・)ノ くまかんさんから笑みがこぼれます。気づいたら10人を越えていた来訪者の目も輝きを増しました。総裁が来る前に1往復して以来、2時間半ぶりの2番列車です。最初に来ていたご夫婦は始発に乗れたので既に帰られていました。来た順番、ということで総裁と三重の方の2人が2番列車に乗せていただくことになりました。くまかんさんが何やら取り出しパチン。

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切符だあ!!! しかもかなり精巧にできた硬券です。総裁も思わず「をを!」。なんとPJR(私有鉄道)印が入っています。下の方は以前販売していたくまかん農産物に付けていた券。こちらにはくまかんマークが入っています。熊野簡易軌道だから「KKK」。総裁は国際興業(東京のバス会社)を真っ先に思い出します(笑) とにかくすげえ、すげえ! 

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(PJR印は山口証券印刷という会社が始めたようです→このへん参照。もしかしたら版権がまだ残っている話かもしれませんが、くまかんきっぷは本物半分、シャレ半分。許してほしいのうと思ってみたり)


くまかんさんが笛を鳴らしていよいよ発車です。出発進行!

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キュルキュルと音を立てながら発車しました。堀川ちゃん復旧後最初の列車とあって、JRのイベント列車並みにカメラの砲列がこちらを向きます。気動車なので芸備線や岩徳線のキハ40あたりをイメージしていましたが、思った以上に軽快な動き。なかなか馬力があります。堀川ちゃんが以前活躍していた立山砂防軌道は総延長18km、38段のスイッチバックを抱えるため全線通しで乗ると1時間以上かかるそうです。なのでシートは見た目以上に座り心地が良いです。


さっき歩いた軌道ですが、窓越しに見ると違って見えるから不思議です。周りの自然に気を遣うように、ゆっくりゆっくりと堀川ちゃんが走り、2分47秒ほどで終点に着きました。ここまで推進運転(後ろ向き運転)で来たくまかんさんが前を向き復路スタート。と、鉄橋を渡った先、雲駅でくまかんさんが「是非お見せしたいものがあるので」と降りるよう促しました。言われるがままに鉄橋の下へ。堀川ちゃんがその上に戻ってきました。ここで気付きました。

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下から機関車が拝める! しかも至近距離! 一般の鉄道では鉄橋が高い位置にあるので、まずできない芸当です。車両工場見学でも真下までは潜りこめない。これはすごい。くまかんさんBlogでいう「はあはあ」な状態になりました。何の条例にも触れない、逮捕もされない「逆さ撮り」です(^^;

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動いている機関部分はこんな感じでした。総裁が立っている場所に脚立を置くとそのまま整備場にできそうです。もっと軸が太くて、もっとたくさんの機械が動いているのかと思いましたが、意外にコンパクトです。その分パーツ一つ一つがしっかりしたパワーを持っているとうことでしょう。そうやってみると軸が激しく回っていますね。

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再び堀川ちゃんに乗車。平谷中野駅に戻るとやはり何人かがカメラを構えていて、今度はやんごとなき方よろしく手を振ってみました。総裁たちが降りると次の人たちが出発。今度は総裁が撮り鉄に加わる番です。


全長133mですが、切り通しに踏み切り、畑に鉄橋、山に谷にと見どころ満載。1mごとに景色が変わり、それぞれにアングルがあるので総裁にとっては長すぎるぐらいです。加えて沿線に花が咲いている場所も多く、どこをどう切り取っても絵になります。そんなことをくまかんさんに話したら「7分の1サイズの鉄道って称しているんですよ」。なるほど1km分は楽しめる景色だし、15分乗ったぐらいの満足感がありました。上手いこと言うてです。

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途中から運転席と反対側の窓を開放。観光トロッコ列車になりました。

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丘の上から眺めると、くまかんのスローさが分かると思います。

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写真を撮る手を止めて、ぼんやりと眺めてみました。そよそよと流れる秋風。たくさんの命を宿し濃く緑色に輝く熊野の山々。堀川ちゃんのスピードは実に心地よく、優しい気持ちになれます。くまかんに来て2時間半以上たちましたが、まったく飽きません。むしろ時間が経つのが早すぎるぐらいです。本当に来てよかった。


20時にレンタカーを返す大和八木まで3時間。睡眠不足で来たので、途中で休むことを考えれば30分以上余裕を持った方が良さそうです。そろそろお別れしなければならない時間が近づいてきました。最後にもう1回乗車させていただくことにしました。


平谷中野駅を発車。今回は途中で子どもたちの乗降がありました。駅や乗降場があるのだから当たり前の話ですが、総裁を含めた大きいお友達は完乗を目指し平谷中野駅からの往復、あっても蟾島口までの片道でしか乗らない。子どもたちの発想がとても新鮮でした。

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ひょいと乗ってちょっとの移動に使う。お客がいれば止まって、いなければ通過する。この感覚何かと似ているような…そう、広電の路面電車です。簡易軌道とは北海道の開拓地を走った路面電車だったんじゃ! そういやあ軌道じゃし。子どもたちのおかげで気付くことができました。


16時を過ぎました。そろそろタイムリミットです。下北山村から来られた男性と、くまかんさんに別れを告げました。「ゆっくりお話しできなくて残念です」。最後まで気を遣ってくださったくまかんさん、本当にありがとうございました。発車する堀川ちゃんに手を振ったら、ヘッドライトをパッシングしてお別れしてくださいました。


「男のロマンやなあ」。駐車場に歩く途中、男性がつぶやきました。総裁も「ウチの親父の実家に広い畑があるのでいつか走らせたいとは思うんですけど、なかなか」。ここで気付きました。レールや車両なんて簡単に手に入らないし、段々畑へ行く坂はきついし…レールが敷けない理由ばかり考えていたのです。どうやったらレールが敷けるか考えないと。最後の最後でくまかんさんに前向き思考を教えていただきました。また来ます!

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時速6kmのドキドキ 2車中泊3日熊野旅7 

とりあえず起動はいったんあきらめ、ひと段落することに。エンジンを冷やす間、熊野簡易軌道(くまかん)所属のもう一つの車両に乗せていただくことになりました。


じゃん

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トロッコ! くまかんでは機動運搬車といいます。こう呼ぶと何だかカコイイ。敷設のためのレールをはこんだほか、軌道本来の目的である農業にも使います。時期によっては鶏糞列車や苗床列車、ミカン列車も走ります( ´ ▽ ` ) 確かにこれなら機動性抜群。しかもネコ車(一輪車)よりも楽ちんです。あ、堀川ちゃんの脇にいる方がくまかんさん。日々農業をされているだけあって結構精悍です。


というわけで早速平谷中野駅をスタート。後ろに乗ったくまかんさんがレールを蹴ると一気に進みだしました。


意外に速い! 気付いたら「速い、速い、速い!!!」と半ば絶叫していました。微妙なカーブやレールの切れ目をガタンガタンと一気に駆け抜け、あっという間に終点。なかなかスリリングで動画なんて撮っている余裕はありませんでした。(以下の写真は別の方が乗っている風景。何となく感じが伝わりますかね?)

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猛烈に速かったのでどれぐらいスピードが出ていたかうかがうと、時速6km程度らしい。実はチャリよりも遅いんです。屋根や壁がない&目線が低いので速く感じるよう。普段鉄道を使うときは目線の高い位置にいますからね。ましてや壁がないで車両には乗らないし(笑) Blogによると、機動運搬車は子どもたちに大人気。その理由が分かりました。大人より、余計な心配をしない子どもの方が楽します。


平谷中野発が下りだった分、帰りは上り。手押しです。このへんのアナログさもくまかんの魅力ですね。軌道運搬車と戻るとほかのお客さんがやって来ていました。その後も続々と訪れ、軌道運搬車が何回も往復。その間少し沿線を歩いていたら、1日2本の熊野市自主運行バスを見ることができました! 行きがけの杉の湯行きといい、きょうはバス運に恵まれています。

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総裁が沿線をうろうろしている間もくまかんさんは堀川ちゃんのエンジンスタートを試みていましたが…上手くいきません。結局、先に沿線ウオーキングツアーになりました…と、その前にくまかんで大切な工具の紹介。レールを曲げるためのジンクロです。てこの原理を利用。真ん中を押さえて左右に力を加えます。一般の鉄道会社では機械化されているようですが、理屈は同じだそう。

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今度こそツアーに出発。平谷中野を出て、建設中?の機関庫を横目にカーブを曲がり始めた場所に「みかんヶ丘」乗降場がありました。(写真は平谷中野との位置が分かりやすいように振り返って撮りました) その先すぐ、2枚目の写真で赤く囲った部分が「白熊」乗降場です。

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みかんヶ丘は今回(10月14、16日)の一般公開に併せての開設になりました。団地もミカンの木もないのに、なぜ?と思われる方もあるでしょう…詳細はくまかんさんBlogをご覧になってください(この記事を参照)。とても思い入れの強い名前であることが分かります。ある少年の思いがここに実りました。


あと駅名表の上、平谷中野からだと「みかんヶ丘」で反対側からだと「通過」の表示。白熊はその逆です。それぞれ片方向の列車だけ止まる設定になっています。バス停ではよくありますが、北海道ではかつて鉄道にもありました。旧国鉄士幌線の黒石平駅と電力所前乗降場がそうで、前者は下りのみ、後者は上りのみ停車しました。駅間が短いことを逆手に取った「北海道の再現」というわけです。凝ってるなあ。白熊の由来は、駅脇にある白樺。「たぶん南限の白樺が伸びる熊野」を略して白熊になりました。。てっきり鹿児島のかき氷かと(笑)


白熊駅を発車して間もなく旧道踏切です。

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診療所から駐車場へ行く道ができる前、線路を斜めに横断する山道が生活路でした。なので「旧道」踏切。今も山道部分は熊野市の所有だそうですが、ある時に訪れた市職員にお伺いを立てたら「好きにしていいよ」と言われたとか(^^; 本場北海道の簡易軌道みたいなユルさです。軌道の魔法かもしれません。


丘側は人の手が入っていて、谷側は自然のまま。なので丘側の踏切には「どうぶつちゅうい」、谷側は「人にちゅうい」。大まじめに線路を敷く中に、にやりとできる要素を盛り込む。好きだなあ。





踏切を渡るとすぐに「熊簡桜台」駅。そう、平谷中野以来の正式な駅です。プラットホームも立派で広告付き! 向かいの街灯と合わせていい味を出しています。となりのトトロを思い出す風景。くまかんさんの出身地にちなんで付いた駅名です。



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本当にソバが育っている「線路のすぐそば畑」を過ぎると「雲(ん)」駅。「津(つ)」と同様に平仮名1文字で、ローマ字にしても1文字という世界最短文字数駅(笑) 強引ですが標高の高い熊野の山間部だと何となく納得できてしまうのが不思議ですσ(^_^;) 日本の駅をあいうえお順に並べたら文句なしの最後。世界だとチャドの首都がンジャメナなので残念orz 駅名票は熊簡桜台、白熊、みかんヶ丘ができる前から使っており、くまかんの歴史の証人になっています。

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雲駅に隣接する踏切には踏切小屋に似せたトイレがあります。「あくまで非常用です」とのこと。小便器とバックの板の組み合わせは備後落合駅の便所を思わせます。そう、トイレより便所という表現が似合います。この小屋を過ぎたらくまかんのクライマックス、鉄橋です!!(便所も分かるように逆向きから撮りました)

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地面から鉄橋までは総裁の背丈より少し高いぐらいです。当然線路の間から下が見えます。枕木の色を見て「おや」と思った方は鋭い。


くまかんの枕木の多くはヒノキを使っています。木曽人もびっくり! 鉄橋部分は業者から購入したようですが、ほかはタダなんです。近所にNTTドコモが携帯基地局を建てるときにたくさんのヒノキを伐採。そのままだと廃棄すると聞き、もらい受けたのです。軌道を敷くぞという強い熱意が運も呼び寄せました。念ずれば花開く、です。

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そしてこの石垣を見よ! ご近所の石積み職人さんが手がけられました。くまかんさんが住み始めた当初から崩れていて、最初はくまかんさん自身が修復に着手。しかし石垣積みには技術と経験が必要で、生兵法で築いても直後の雨でまた崩れてしまいました。何とかしないと、と思い続けていたところに職人さんが手を差し伸べてくださったそう。線路は地域と地域だけではなく人と人とをも結ぶのです。

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橋を渡ると、現在の終点・蟾島口(びきしまぐち)です。蟾はカエルを表す漢字。くまかんが通る柚ノ木谷の奥には山があります。その中腹に蟾島岩という奇岩があり、この駅が登山口にあたるとして駅名が付きました。中国地方の人に分かりやすく言えば、一畑電鉄の一畑口とか芸備線の志和口みたいなもんですな。ふと立ち止まってあたりを見渡すと、いかに山深く自然にとけ込んだ場所か分かります。

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(国土地理院地理閲覧サービスより)






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奥の盛り土の場所まで延伸する計画があるそうです。現在は133m。延伸後は150mぐらいになります。そういえば…堀川ちゃんの機嫌は直ったかなあ? 平谷中野駅に戻ることになりました。
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くまかんさん、初めまして 2車中泊3日熊野旅6 

さきほど通り過ぎた診療所の角を曲がるとすぐに駐車場です。「東京610km」と同じ字体の看板がありました。ローカル線の趣がある、少し懐かしい書き味。PCやワープロが普及する前は結構ありましたよね。小学校の学級だよりを思い出しました。駐車場には総裁ポルテを含めて2台。すでに先客がいらっしゃるようです。

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さらに坂を下りると熊野簡易軌道・平谷中野駅です。管理人くまかんさんブログ(このへん参照)でおなじみの駅舎と元立山砂防軌道の機関車「堀川ちゃん」が目の前にありました。日々ディスプレイ越しに拝見している光景だけに、実際目の当たりにすると感慨深いです。(今後は、熊野簡易軌道自体を「くまかん」、軌道を敷設・管理されている方を「くまかんさん」と表現します)


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簡易軌道は北海道で地盤が悪い地域を開拓するため、道路の代わりに道庁や国が敷設。古くは「殖民軌道」という呼び名でした。自治体や地域で運営。道路の代わりという位置づけなので地方鉄道法や軌道法には則っていません。つまり(見た目はともかく)法的には「鉄道未満」だったりします。例えば、初期は馬が台車を引っ張ったり、多くで閉塞信号を設けなかったり。そういった規制の少なさもあって、敷設しやすい乗り物として路線が拡大。ピーク時は総延長が600kmを超えました。


メーンは開拓に必要な資材や、農産物、鉱石の輸送でしたが、一般のお客さんも乗せるバス的な便もあり、地域の大切な交通手段でした。しかし自動車の普及や国補助金の打ち切りもあって、1972年までに全路線が廃止に。元々バス停同然の簡易な駅も多く、路線によっては跡をたどることさえ困難だそうです。


くまかんさんは小学生のころ簡易軌道の存在を知り、「BESTトロッコ」というムック本をきっかけにナローゲージに目覚めました。トロッコ敷設を夢見ながら不慮の事故で亡くなった少年のTV番組に感銘を受け、鉄道敷設を決意。東京から自転車で立山砂防軌道に行こうとしたこともありました(後日列車で行き、乗車を実現) 何度も北海道へ渡り旅や農業をする中で鉄道づくりを模索しましたが、夢かなわず。東京でサラリーマン生活を送った時期もありました。


しかし、田舎での農業と鉄道敷設の夢を捨てきれず退社。四国へ向かおうとする途中で立ち寄った南紀・熊野に魅せられて住み始めました。2004年のことです。以後着々と準備を進め、07年、関東方面の業者?から立山砂防軌道の廃機関車(現在の堀川ちゃん)を購入。関東から熊野まで10t車→4t車に載せ替え→普通車が精一杯の市道にトラックが突入、など「大輸送劇」があったそうです。08年、線路敷設がいったん完了。6月には堀川ちゃんが軌道に初入線しました。今年は鉄橋が完成。7月6日(くまかん提唱「ナローの日」)、現在の形での「開業」を果たしました。


車両や一部レールは中古ですが、標識や駅などほかの部分はくまかんさんの手作り。

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すごすぎます! 普通に国鉄の気動車が顔をのぞかせそう。


平谷中野駅にはくまかんさんと、先客のご夫婦がいらっしゃいました。


まずはご挨拶。広島から来た旨告げると驚かれていました。FC2Blogには、FC2Blog管理者が来訪した場合「足跡」が残る機能があり、くまかんさんが当Blogを訪問されたことは知っていました。「Blogをご覧いただいてありがとうございます」と言うと、「あ、『ゲリラ雪』の!!」「総裁さんとお呼びした方がいいですね☆」。本当にありがたいことです。あこがれの芸能人やカープの選手に話しかけてもらえたような面はゆさと、総裁なんてこっぱずかしい呼び名にするんじゃなかったなあという後悔が入り交じります。あはは(^^;


総裁の直後に別の方も来られました。こちらは三重県内からです。


ここで「せっかく来られたんですから、まずは乗ってください」とくまかんさん。堀川ちゃんに案内していただきました。くまかんさんBlogの写真では結構狭いかもと思っていましたが、中は意外と広い。山陽本線でおなじみ、JR西113系のボックスシートを想像すると近いかもしれません。固定型ではなく、シートピッチが狭めの転換クロスタイプの感覚。何気に天井は幌が張ってあります。見えない贅沢というやつですね(笑)

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運転席にはペダルがありバスに近い感じです。速度計は時速45kmがmax。元は地形が険しい場所を走っていたので、スピードより馬力が求められた結果なんでしょう。

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さあ、キーを差し込んでエンジンオン!


…のはずがかからない。堀川ちゃん、ちょっと調子が悪いご様子。

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いやあ、ちょっと緊張しちゃってさあ(^^; 片方だけ通気口が開いてるさまが、片手を少し伸ばして話しているように見えました。くまかんさんは申し訳なさそうな表情。そんな気にしないでください。逆に沿線をゆっくり歩けますし。ダイヤがあるわけでもないし、個人の農業用軌道に乗せていただいている立場ですから。


(簡易軌道の説明部分やくまかんさんのこれまでについては、ご本人が話された内容やくまかんさんBlog、wikipediaなどを参考にまとめました。くまかんさん、こんな表現で合うてますでしょうか?)
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画面の向こうへ 2車中泊3日熊野旅5 

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上北山村の道の駅で昼ごはんにしようかと思いましたが、まだレストランが開いていません。仕方ないので先へ進むことに。村中心部を過ぎると人家が途切れ進行左側にダム湖が広がってきました。バス釣りやボート引き揚げサービスの看板が並びます。道自体は平坦ですが、カーブがきつく時速40kmが精いっぱい。多くはブラインドカーブなので対向車線にはみ出さないよう気を遣います。素堀りの暗いトンネルが多い上、景色が単調で村に入った時の坂以上に疲れました。



火葬場を過ぎ、さび付いた橋の手前で下北山村に。きつい下り坂を走ってバスの終点にもなっている池原集落です。食事もできる日帰り温泉施設があったので、ここで休憩することにしました。頼んだのは真菜づくしなるメニュー。真菜はコマツナやホウレンソウに似た伝統野菜(大和野菜)で、真冬の1ヶ月間ぐらいしか収穫できない地域限定の品種です。





うどんにめはり寿司にアイスと文字通りフルコースです。うどん、めはり寿司の真菜は適度な苦みと肉厚があり大人の味。アイスは濃厚なバニラにほんのりと真菜の苦みが利いて、思った以上に美味かったです。持って帰れないのが残念。伯母峯トンネルじゃないですが、だいぶリフレッシュできました(^^)v


下北山からは相変わらず素堀りトンネルがあるぐらいで、比較的快適な道になってきました。ナビの指示に従って途中から県道へ。奈良交通バスの終点である下桑原から真新しい村道に折れます。久々に内壁が白いトンネルを抜けたら和歌山県でした! 大和八木を出発して3時間強、やっとここまで来ました。

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急な下り坂を走って、七色集落で再び国道169号に合流。ここで三重交通のバス停が登場しました。いよいよ南紀です。しばらく西に進み、県道に曲がるため緑色の橋で北山川を横断。と、ナビが「三重県に入りました」とアナウンスしました。何の標識もありませんが川が県境だったらしい。せっかくだから標識前でポルテと記念撮影したかったのう(´・ω・`)

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(行きは後ろに車がいたため帰りに撮影。手前が三重県、奥が和歌山県)


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尾川川(おがわがわ)という名前にダブり感がある川を渡って育生町という集落に入りました。尾川や育生町は今回おじゃまする相手方のブログにしょっちゅう登場する地名。ついにディスプレーの向こう側の世界にやって来ました。ドラマの撮影地を訪ねたときと同じ感覚です。どきどきしてきました( ´ω`) 尾川は小さな集落にもかかわらず、端っこにはカラオケスナックまでありましたよ。


そしてカラオケスナックの先の細いうねうね道を進むうち、ついにナビに今回の終点「平谷」が登場! うっそうとした林ばかりだった車窓が開けてきました。

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ブログによく登場する「スナック水割り」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!! 県道40号に入ってからテンション上がりまくりです。

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診療所の角を曲がれば目的地の駐車場ですが、どうしても見たいアングルがあってさらに先へ進みました。

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線路が見えました! 奥に向かって延びています。ブログの写真と同じ景色に出合えました。着いたのです。ここから坂を駆け下りたい気持ちを抑えて駐車場に向かいます。途中にこんな看板がありました。

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線路自体は向こうで途切れていますが、心は東京までつながっている。鉄路を語るとき、「この線路は東京までつながっている」という表現は全国とつながっているという意味も含んでいます。思いは全国につながっている。そんな気持ちがこもった看板に見えました。
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神々の山越え 2車中泊3日熊野旅4 

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熊野までは、最後の方を除いて国道169号線をひた走ります。ロードサイド店が続いていましたが、間もなく古い建物が増えてきました。標識には石舞台古墳なんて文字も。飛鳥です。国道脇の近鉄駅からたくさんのお年寄りが横断歩道を渡っていきました。となりの高取町に入っても高松塚古墳、キトラ古墳なんて場所が標識に登場します。奈良が特別な場所だと感じる瞬間です。


高取町の中心部から壺阪寺駅前を過ぎてトンネルを超えると吉野に入ります。大淀町から川沿いに南下するうち近鉄と別れ、消防署のあたりから両側の山が迫ってきました。トンネルを越えると川上村です。2002年に本体が完成した大滝ダムを横目にきつめの坂を登り、「ダムが学べるステーション」なるバス停脇のトンネルをくぐると湯盛温泉。村の中心部でもあります。かつて大滝は狭い谷に民家がへばりつき高越の難所だったそう。奈良交通のバスには添乗員さんが乗っていたらしいです。


大和八木駅で湯盛温泉杉の湯行きのバスが止まっていたのでどんな場所か気になっていました。とても風情ある名前ですが…ダム建設で移転した集落みたいで、コンクリ壁と近代的な建物がずらり。新興住宅地の趣きです。立派なトンネルのそばに奈良交通の車庫?がありました。八木駅行きのバスが待機中。2車線の立派な道路からするとかわいらしいサイズのリエッセでした。


その先で南側=和歌山の方向から来た杉の湯行きとすれ違いました。川上村はさらに南のエリアと大和八木方面との乗り継ぎ地のようです。広島人の感覚だと杉の湯から先はコミュニティバス化していそうですが、意外にも奈良交通本体の路線です。ちょっと気になってバス停の時刻表を見てみました。

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どうやら1日2往復しかない貴重なバスを拝めたよう。これはテンションが上がります。そして下桑原、池原という行き先が気になりました。どこかで聞いたことあるような…思い出した! 日本最長を誇る大和八木~新宮線を紹介したサイトに出ていたバス停です。現在の新宮行きは吉野より西側を走る国道168号を走りますが、以前は169号経由便もありました。杉の湯で分断された奈良交通便はその名残なのです。


かつて熊野市や新宮まで伸びていた路線は奈良県内までになりましたが、それでもかなりの距離です。バス停には奈良交通吉野営業所管内の路線図がありました。県境付近の人々にとってバスは奈良方面への唯一の公共機関。地域ぐるみで守っているのでしょう。

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山々の空気を胸いっぱいに吸い込んで、再び出発です。快走路を駆け抜けていくうち少しずつ上り坂になってきました。柏木集落を過ぎると人家も途絶え、大迫ダムからはさらに傾斜がきつくなり、ナビ上にループが登場(言い忘れていましたが、このクルマ、偶然にもナビ備え付け車でした)。真新しいトンネルと橋脚で一気に山を登ります。かなりの山奥。これだけの構造物をよく造ったなと思います。

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(国土地理院地図閲覧サービスより)

ループが終わるとナビに「新伯母峯トンネル」という表示が出ました。途中でマップの色が変わっているので、ここが村境みたいです。そして間もなくずーっと先まで車が止まっている場所に来ました。真上にある電光掲示板を見ると、新伯母峯トンネルのリフレッシュ工事で片側交互通行になっているらしい。しばらく待って、山深さを極めた、まさに「修験の地」にふさわしいトンネルへ突入しました。標高990m。総裁が運転した中で一番高い場所です。


「新」と付くので新しいのかと思いきや、かなり古い時代の「新」らしく、壁も路面もぼこぼこでした。だいぶ水漏れもしているよう。途中は素堀りみたいな場所も。広島県ならすぐ隣に新しいトンネルを造るでしょうけど、山深い奈良県には直さなければならない場所が多すぎて追いつかないようです。そりゃあリフレッシュ工事をせんにゃあいけません。


上北山村に入ると一転して強烈な下り坂に。カーブもきつく神経を使います。道の駅で車を止めると、どっと疲れが出ました。唯一の幹線道路がこれじゃあ大変です。万が一災害で通行止めになった日には…。実は2007年にその「万が一」が発生しました。土砂崩れが起きて通行中の車が巻き込まれたのです。犠牲者が出た上、長い間通行止めになり生活に大変な影響が出ました。それ以前から土砂崩れが相次いでおり、村境から最初の集落までは現在トンネル工事中です。広島は実に恵まれた土地なのだなとあらためて痛感しました。(このへん参照←奈良国道事務所のプレスリリースより)


(なお、川上村~上北山村の区間を動画に収めた人がいます→このへん参照。169号の大変さがよく分かります。ループ・新伯母峯トンネルは3:19ごろから)
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近鉄に負けた日 2車中泊3日熊野旅3 

早く身支度ができました。予定より一本でも前の電車に乗ろうと近鉄難波へ。鶴橋には25分早い到着です。さあ快速急行は来ないかな、と待ちますが、来るのは各駅や特急ばかり。やっと準急が来ましたが、「大和八木には後の快速急行が先の到着です」。段々嫌な予感がしてきました。


次もその次も各駅。さらに次は名古屋行き特急です。待ち続けてやっとホームの時刻表示に準急が登場しました。発車時刻は当初予定していた快速急行の2分前。もちろん快速急行の方が先に着くわけで…つまり、


鶴橋に25分早く着いた意味がなかったのです。


朝からこれは凹みます。まあレンタカーを予定通り借りられるわけで、欲張りすぎはイカンということです。乗った快速急行は宇治山田行き。三重県まで行くことは知っていましたが、伊勢中川や松阪の先だったんですね。土曜朝の下り電車の割に立ち客が出る盛況ぶりでした。



35分で大和八木着。かなりたくさんの人が降り、ほとんどが乗り換えでした。確か朝は天理への直通電車もあったはず。


今回は北海道でも使った格安レンタカーチェーンを利用。ガソスタの兼業店で、駅前ではなく、大和八木から離れた幹線道路沿いにあります。歩くには面倒臭い距離なので奈良交通のバスに乗りました。総裁の旅である以上、路線バス成分を摂取せんにゃあ(笑)

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ガソスタにはこれから乗るポルテがスタンバイ。南紀の山間部国道は道が狭いと聞いていたので軽も考えましたが、登り坂にはパワーが必要と考え、5ナンバーにしました。手続きをするとき店の業務用ホワイトボードを見たら、16日の欄に赤字で「ポルテ レンタカー」と書いてありましたよ。今月は他に二件だけ。場所が悪いけえなあ。


鍵を受け取り運転席へ。シート周りが広く、小回りがかなり利きます。熊野仕様としてはなかなかいいんじゃないでしょうか。いよいよドライブスタートです。

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夜の続き 2車中泊3日熊野旅2 

席に戻ると23:35。ウテシが案内した消灯時刻です。しっかり寝るぞ…と思ったら微妙に明かりがついたままになってしまいました。普段部屋を真っ暗にして寝る身からするとツラい。もっとも、もともと睡眠不足で乗った上、後顧の憂いがなくなって落ち着いたんでしょう。気付いたら意識が飛んでいました。


バスが動いたり止まったりした気がしました。プシューっとブレーキエアーが抜けた音。ドアが開いて一瞬外の喧騒が聞こえました。どうやらウテシの仮眠場所に着いたよう。時計を見たら2:45でした。まどろんでいたら1時間後に発車。阪神高速独特のガッタンガッタンした舗装になって明かりがつきました。4:55、湊町バスターミナルに到着。消灯時間はわずか5時間でした。広島?大阪って夜行バスが成り立つギリギリの距離なんだなあと改めて思います。


レンタカー店が開くのは8:00。近鉄難波7:06の電車で間に合うので、2時間暇があります。事前の調べで心斎橋に5:30から営業しているスーパー銭湯があることが判明。ひとっ風呂浴びる気でいました。そんな総裁の思いを南海バスは見通していたのか、座席ポケットにこんなチラシが入ってました!

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アメニティ無料も大きいですが、何より惹かれたのが朝食付き! 銭湯だとタオルを借りたり、石けんを買ったりすると結構お金がかかります。我らがニュージャパンなのでサウナや休憩設備も充実しているはず。即決しましたよ( ´ ▽ ` )ノ


湊町で下車。以前北海道へ行く時もそうでしたが、相変わらず警備員がウロウロして物々しい雰囲気でした。トイレにはこんな看板まで…。



地図に従って進むと難波ハッチあたりの、ストリートミュージシャンがたくさんいるあたりに出ました。思いのたけを歌胃、「やったったで」な顔をした若い衆が始発で帰ろうとたくさん歩いていました。広島だと流川でさえひと気がない時間帯。大阪はまだ「夜の続き」でした。



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スズムシが今年最後の音色を響かせている阪神高速下を抜けた先、ラブホ街の端っこにニュージャパンはありました。

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夜行バス明けの風呂は気持ちいい。サウナも広々。ただ、テレビではキュウリ農家を訪ねる番組をやってたんですよ。キャスターの女性が生で、ぬか漬けでボリボリ。総裁のキュウリ嫌いを知らずに…。おかげで必要位上に汗をかけました( ´Д`)


外に出たらようやく日が出ていました。そして本格的に街が動き始めていました。

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