07« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»09

ゲリラ雪

  : 

下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  /  tb: --  /  cm: --  /  △top

広島発 バスに揺られて 2nd stage 

稲武バスのウテシ氏と雑談を楽しんでいると、マイクロバスが到着。野球帽?をかぶったおっちゃんが「こんにちは」と降りてくる。次に乗る設楽町営バスのウテシ氏だ。


「この人は広島から来ていて、バスに乗る旅をしてるだそうで」「ああ、こないだもそういう人が来たなあ」。マニアはウテシたちに強い印象を残しているのだろう。あ、総裁もか。
59.稲武13:21→14:03田口(設楽町営バス)稲武線
07050101

(運賃は900円)

(このへんこのへんこのへんの地図をご参照ください)バスに乗ると、運賃箱があるのだが両替機能など一切ない、純粋な「箱」。運賃は前に張ってある表を見て払う。押しボタンも車内放送もない。究極のローカルバスだ
。聞くと田口まで¥900という。¥1000札しかない旨話すと、お釣り¥100をウテシが手渡ししてくれた。


「貴重なお客さんだから。きょうは0かと思ったよ」「まったく」。昼の便に稲武から人が乗ることは珍しいようだ。稲武バスのウテシが「気を付けて、良い旅を」と笑顔で手を振ってくれたので、こちらも振り返す。この地でウテシと客との暖かい交流が続けばなと思う。そして学生たちの笑顔を運ぶバスがいつまでも残っていてほしいと願った。


車庫を出るとすぐに民家が途切れ、川が迫ってきた。きょう一番の日差しを受けて水面は輝き、山も森も草もキラキラと緑色を薄める。窓を開けるとそよそよとせせらぎが聞こえ、心まで洗われるようだ。発車して10分もしないうちに設楽町に入る。


すぐに道の駅があり、茶臼山高原の入口にあたる名倉の集落だ。盆地に広がる田んぼや草地を見ていると、同じ愛知県なのに名古屋とは違う速さで時間が流れているんじゃないかと錯覚する


終始貸切だなと思いきや、「峠」でオッちゃんが乗ってきた。常連さんらしい。「(車内)寒くねえ?」「ちょうどいい。××(聞き取れず)で降ろして」なんて話をしている。


名大草地研究所前を過ぎ、また民家が途切れた。間もなくヘアピンカーブの急な下り坂が連続。バスはスピードを落としながら、高原を一気に駆け下りる。あたりを高い木々が囲み、窓からひんやりとした風が入り込む。


10分は木陰の中を走っただろうか。やっと民家が見えて次のバス停「川向」。これで田口の集落に着いたかと思いきや、もう一度林の中を下り、旧津具村からの道と合流。豊橋鉄道のバス停が登場したら、今度はゆるやかに上るU字カーブを何度か曲がりやっと設楽町の中心部田口だ。


このあたりの拠点なのだろう、高校や警察署もあり、谷あいいっぱいに集落が広がっている。オッちゃんは街の中心部にある民家の前で降りていった。あそこは何という停留所なのだろう


豊橋鉄道の旅行センター券発券所の脇から、バス車庫に入って終点。次のバスまで1時間近くあるので、ウテシに喫茶店があるか聞くと「こんな田舎でも3軒あるんですわ」。うち一番車庫に近い店を教えてもらい、バスを降りた。


スタフ(乗務員用運行表)を見ると、稲武線は朝イチの便から19時台の最終までこのウテシ1人で運転するよう。


午前中と昼間に長い休みがあるとはいえ、代わりの人もいないだろうから責任重大。特にヘアピンカーブ群は冬場は大変だと思う。安全運転のお礼とともに、敬意を表して手を振ってバスを見送った。


教えてもらった喫茶店は県の出先機関の隣にあった。平日昼間だというのに結構にぎわっている。書類を広げているおっさんもおり、出先の建物内ではやりにくい「ぶっちゃけた話」をする場所になっているのだろう。


店内に響く山田優のヘタ歌を忘れるぐらい、喉を伝わるアイスコーヒーが美味かった。バス車庫に戻る途中、酒蔵を発見。昼間から冷で呑めるのも旅の醍醐味だが、今からやると寝そうなので我慢した。

60.田口15:03→15:43本長篠駅(豊橋鉄道)新城病院前
07050102(運賃は900円)

このへんこのへんこのへんの地図をご参照ください)少し早めに車庫に戻ったら、もうバスが待っていた。時刻表を見ると「このバス停にかかる一部路線は国・県・関係自治体の支援を受けて運行しています。路線存続の為、皆様のご利用をお願いします」と書かれている。


豊橋のバス会社がここまで走らせてくれているだけでも、ありがたいと思うべきなのだろう。切実だ。


もろに豊橋鉄道の敷地内なので、写真を撮るにあたってウテシに一言説明して承諾を得る。「へえ、そりゃあ時間と休みがないとできないなあ、ハハハハ」「休日出勤した分、この夏休みを全部使ってますから」「きょうはどこまで行くの」…なんて話をするうち、田口の集落が途切れ、また民家がないエリアへ。


稲武から田口へ行くとき以上に急な下りカーブをゆっくりゆっくり下っていく。途中つぶれたパチ屋の横を過ぎると、また林の中に。さらに傾斜がきつくなり、やっと家が見えたところで、清崎の集落だ。


ここでバスは右にハンドルを切り、集落の細道に突入。いわゆる険道だが、ウテシは表情一つ変えずスイスイとハンドルをさばく。あざやかな手つきに感心したが、そこまで回り道をしてもお客さんはおらず、何だか切ない


国道の方を見やると「↑稲武27km」の標識があった。気づかぬうちにかなりの距離を進んだのだ。


田峰で国道へ戻り、ごうごうと流れる豊川沿いに走るとトンネル手前で新城市に突入。トンネルは昔ながらの釣鐘型で天井に一列にランプが並ぶ。レトロなたたずまいに、都会時間と田舎時間を隔てる境のようにも感じた。


外に出ると、川沿いに家が建ち並ぶ海老の集落。新城からここまでの区間便もある、市の端っこだ。右手にサークルKも見えてきて街に戻ってきた感じがする。


学童農園前で1人乗車。さらに国道への近道から外れた大栗平で、下校の小学生10人が乗ってきた。小学生たちは坂を上った先の鳳来寺で降り、入れ替わりに女子高校生2人が乗る。こんな山奥にも高校があるのだ。


次の峰からはまた急坂を上り、何回目かの山道を越えて大草へ出たら、間もなく本長篠駅。駅前までは道が狭くて入れないようで、駅近くにちょっとしたターミナルがあった。


降りてから近くのコンビニに買い物へ行く途中、バスとすれ違った。ウテシは手を振ってくれ、こちらも振り返した。どうか安全運転で。

07050103
本長篠付近は狭い盆地。ここあたりでかの長篠の戦いがあった。てっきり平地だと思っていたので意外だった。


山という山から文字通り湧き出て、谷を埋め尽くした武田騎馬兵。その壮観で、誰しも勝ちを疑わなかった軍団を木っ端にした織田軍の鉄砲隊。それは世の中の常識をひっくり返す、鳥肌が立つほど衝撃的な光景だったのだろう


これだけ山が迫っている場所だ。武士のおらび声、うめき声、そして馬のいななきと火薬がはぜる音があたりに混然と響いたはずだ。そんな場所で中学生たちがにぎやかにバスを待っている。何とも不思議な気分だ。


歴史といえば、今乗ったバスの沿線、実は1968年まで豊橋鉄道田口線という鉄道が走っていた。田口といっても、清崎から田口までの急勾配は上れず、三河田口駅は田口の中心部から4kmはなれた場所にあったという。


沿線の生活の足を確保するとともに、木材運搬も担っていた。しかし、過疎化と林業の衰退で廃線が決定。豊橋鉄道のバスはいわば廃止代替路線なのだ。


惜しむらくはこのことを広島に帰って知ったこと。沿線には橋脚や駅舎跡が残っているらしく、分かっていたら気づいていたかもしれない。残念だ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

△top

この記事に対するコメント

△top

トラックバック

トラックバックURL
→http://guerillasnow.blog49.fc2.com/tb.php/169-d4aa5b8b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。