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ゲリラ雪

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下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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北海どう(道)でしょう06 

時間は13:45。広島支部長が名寄に着くまであと30分しかありません。急ぎましょう。

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和寒町をサーッと通り過ぎ、道の駅絵本の里けんぶちで3つめのカントリーサインマグネットを購入。木をふんだんに使ったぬくもりある建物で、できたての手作りパンは絶品でした。普通に旅していたら途中の町で立ち寄ることなんてなかなかないわけで、自分で巻き込まれておきながら「カントリーサイン」の威力に驚くばかりです。

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と、ここで目の前を旭川に本社がある道北バスが通り過ぎました。行き先は「2名寄」! 何と旭川-名寄を一般道で2時間以上かけて結ぶバスがあるんです!! しかもバス停の時刻表を見ると、意外に本数が多い。JR宗谷本線より便利だったりします。一部で北海道がバス天国といわれる理由が分かりました。


道央道の士別剣淵ICを過ぎると、久々にロードサイド店が並ぶようになり、士別の市街地です。人口2万2000人ほどで、広島でいえば庄原より少し小規模ですが、やはり道が広く住所は○条○丁目表記。総裁の中では「丁目」は都会だと付くもので、何だか不思議な感覚です。


あと細かい字(あざ)が余りないんでしょう。士別を過ぎてバス停名に数字が連続することに気付きました。

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北海道を開拓するとき、碁盤の目状に区画整理するとき基準線を定め、その線から何本目の道で「1線」「2線」と呼んでいます。この42線あたりから少しずつ数字が減っていって、名寄に着くころには25線とか18線になっていました。このへんの基線はかなり北にあるようです。


そんな数字ばかりのバス停沿いにAZワゴンを走らせ、名寄市に入って間もなく「道の駅もち米の里☆なよろ」がありました。今年4月にできたばかり。つのだ☆ひろや漫☆画太郎を彷彿とさせるポップなネーミング、大好きです。行政系施設って時々はっちゃけますよね(笑)


カントリーサインマグネットを探しましたが、売り場にはありません。店員さんに聞こうにもレジに行列ができていてちょっと躊躇してしまいます。結局少し待ってレジが引けたところで聞いたら、中から出してもらう形式だったよう。こういうパターンもあるんですねぇ。

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もち米の里をうたうだけあって大福の種類がとにかく多かったです。あととにかくにぎわっていたこと、やたら風が強かったことが印象的でした。大福にはかなりひかれましたが、剣淵でパンを食べたばかりなのでガマンです。


待ち合わせに遅れること40分、15時前、ようやく広島支部長と合流しました。駅の待合室で「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていたそう。広島の休日と同じことをさせてすまんこってす。。




予定よりだいぶ遅れました。道の駅びふかを回ってからトロッコ王国へ行こうかと思っていましたが、それでは閉園時間に間に合わないかもしれない。断念して直接トロッコ王国へ向かいました。


美深町に入って宗谷国道に別れを告げ道道(どうどう)へ。道道って一瞬何かと思いますが広島でいう「県道」のことです。トロッコ王国がある仁宇布(にうぷ)まで20km。道道に入って少しの間は家もありましたが、すぐに家も畑もなくなりました。人工物は道路と、一部工事された法面ぐらいです。


一部がトロッコ王国として残る国鉄美幸線はこの何もないところを走っていました。いや、曲がりなりにも国鉄が線路を引いた場所だから多少は家があるんじゃろうと思っていましたが、本当に何もありませんでした。


美幸線は美深から北見枝幸を結ぶ線として建設がスタートし、1964年に仁宇布まで開業。その先北見枝幸まで路盤の大部分が完成していました。しかし、「美」「幸」と縁起の良い語呂合わせとは裏腹に、74年度で営業係数が3859(100円儲けるために3859円の経費が必要)を記録するなど全国有数の赤字線でした。この場所を訪れて理由が分かりました。


80年制定の国鉄再建法で廃止対象に。当時の美深町長が逆手に取って「日本一の赤字線」と銀座でPRイベントを開きましたが、時代の波には抗えず、85年に美幸線は姿を消しました。仮に似宇布から北見枝幸まで延びたとしても、仁宇布の次の駅予定地まで24kmあるなど、そもそもが無理な計画でした。明治から始まった北海道開拓の、最後の夢物語だったのかもしれません。


やっと家が見えてきたと思ったら、そこが似宇布。国鉄時代のホームが残っていました。途中から道路脇に線路がありました。見ればトロッコらしきものに乗っている人がいます。あれに乗るんじゃなあ。ちょっとテンションが上がってきましたよ↑↑

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