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ゲリラ雪

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下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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広島発 バスに揺られて(番外編1) 

(本当に久しぶりの更新になりました。イントロダクションにあたる「番外編0」は→こちら←をご覧ください。このバス旅は2007年2月に実行しました。記述は当時のメモを参考にしており、現在とはバス時刻経路、沿線風景が違うこともあります)


4ヵ月ぶりの天理駅前。明石-東京のバス旅で通ったとき(このへん参照)、午後7時半過ぎのバス乗り場はがらんとしていたが、きょうは右も左も高校生だ。にぎやかに関西弁が飛び交う。乗り場によってはかなり列が延びている。これは座れないかもしれない。通学時間だから仕方ないか。


1.天理駅7:43→8:10桜井駅北口(奈良交通)60桜井駅北口川合東口経由
07102101

(運賃は590円)

このあたりこのあたりこのあたりの地図をご参照ください)桜井行きは高校生の一群のさらに向こう、まるで喧噪に置いていかれたような誰もいない乗り場に止まっていた。


駅前の一番端から総裁ら3人だけを乗せて発車。雲が完全に切れ、車内に朝日が降り注いできた。ウテシがゆっくりとサンバイザーを動かす。天理中大路でバスの脇を中高生のチャリが猛然と駆け抜けていった。車内外でびっくりするぐらい時間の流れが違う。


中大路の交差点で右折し国道169号に入る。と、天理本通りあたりで気付いた。建物が変。民家だけでなく、ビルにも入母屋造りの屋根が付いているのだ。最近できたっぽいマンションにも、そして何より市役所にも巨大な屋根が鎮座している。中学時代社会科教諭が「天理の建物にはビルにも屋根がある」と話していた。その時は「ウソじゃろう」ぐらいに思っていたが、やっぱり事実だったのだ(このへん参照)。


そして屋根付きビル、マンション?に共通して「詰所」という看板があった。玄関は旅館のような趣。
何だろう?と思って帰宅後調べたら、「おちばがえり」という天理教行事に参加する子どもが泊まる合宿所のことらしい。さすが市当局が「宗教都市」を名乗るだけのことはある。


天理市庁を過ぎたあたりで建物が途切れ、天理駅から4つ目の守目堂で1人降り、8人目の三昧田でさらに1人下車。総裁の貸し切りになった。と、その三昧田で変わった放送が流れた。「環濠集落の名残を残す××へお越しの方は次でお降りください」


環濠集落…そういえば前述の社会科教諭から習った気がする。外敵に備えるため周囲に堀を巡らした弥生時代の集落様式だったっけ。高校で世界史・地理を選択した総裁にとっては「××」を忘れるぐらいの存在だが、日本史好きだと「おお、あの××か」となるのだろうか。どこまでも広がる田んぼの中にあるだろう××は車内からは見つけられなかった。


もう1回環濠集落放送が流れた後、今度は柳本で「崇仁天皇陵前です」とのアナウンス。崇仁天皇って名前は聞いたことあるけど、何した人だっけ? まるで日本史クイズみたいな路線だ。


ゆっくり来たつもりだったが、柳本の1つ前の上長岡で時間調整。相撲神社口なんて由来が気になるバス停を過ぎると、三輪そうめんの工場が並ぶようになってきた。その中で特に目立ったのは「超高級三輪そうめん」…と書かれたボロい工場。いや味が良ければそれでいいんですけど。


途中から乗ってきて、終点に着くころには乗客が7人になっていた。終始JRと並走する路線だとこんなもんだろうか。市街地に入って少し道が広がったところで国道を左折し、駅前ロータリーに止まった。ここで明石-東京のバス旅で買っていた奈良交通ICカード「CI-CA」にチャージ。ウテシに言うと「兄ちゃんは天理駅から乗ってたから…」とボタンを操作。ええ、マニアです(笑)


バス乗り場を見ると三輪明神の看板があった。広島市西区にある、あの三輪明神の本家。偶然だがバスで2つの街を結んだわけで、何とも不思議な気分だった。

2.桜井駅8:40→9:11大宇陀(奈良交通)70菟田野町大宇陀経由
07102102

(運賃は620円)

このあたりこのあたりこのあたりの地図をご参照ください) 通勤通学時間が終わった駅はがらんとして、とうとう自動運転のエスカレーターが止まってしまった。


バス停には積雪時の多武峯行きは途中までしか行かない旨の注意書きがあった。「霧氷バス」なんてチラシもある。いよいよ山深い地域に入ってきたのだ。駅前のバス案内図を見ると、これから向かう大宇陀はさらに山奥にあるらしく、地図からはみ出ている。風が冷たい。


ちょうどJRの電車が着いて高校生の一群が降りたが、このバスにも、後ろの「37石舞台」行きの小型バスにも乗ってこなかった。5人ほどで発車。このあたりが平地広がる飛鳥の端らしく、目の前に高い山がそびえるようになった。


駅前通りを左折。国道165号に合流し昭和にタイムスリップしたような趣ある市街地を抜けると上り坂になってきた。宇陀ヶ辻を過ぎて右に曲がるとさらに勾配がきつくなり、駅から5つ目の信夫ヶ丘で2人、7つ目の下尾口で1人下車。車内は総裁とパツキン女性の2人になった。


道路沿いにあった気温計は6度。色濃い冬の太陽が栗色の田を照らす。周りの山々がまだ青いのでそこまでもの悲しくないが、年によっては結構な積雪に見舞われそうだ。今年が暖冬で良かった。


いよいよ人家がなくなってきた中女寄(なかみより)で時間調整。このバスも結構ゆっくり走ってきたが、雪対策なのかダイヤに余裕があるらしい。トンネル工事の脇を通り、笠間辻からきついカーブをぐるぐる曲がると女寄峠のてっぺん。宇陀市に入る。忍坂、女寄なんてバス停名が並ぶと、世をはかなんで旅する和服女性の姿が思い浮かぶ。当時工事中だったトンネルは07年10月に開通した。


パツキン女性が梅の木で降りて、総裁の貸し切り状態になった。こんなところで降りたけど、あの人は何者なんだろう? 野依で旧大宇陀町の中心部に入ったよう。パチ屋が出現し、サークルKがあった内原で1人、小附でも1人乗ってきた。桜井へのバスは少ないが、榛原へのバスは1時間に2,3本ある。結構人口が多いのかもしれない。


「出張ヘルス」のシールがあるバス停を横目に高校、旧役場を過ぎ、中心部の端にある道の駅が大宇陀バス停だった。産直市にはまるまるとした白菜、キャベツが並び、店員さんや近所の爺さん婆さんが楽しそうに話している。好きこのんで一人旅をしているくせに、人の営みにふれて何だかホッとした気持ちになった。

3.大宇陀9:19→9:37榛原駅(奈良交通)1榛原駅
07102103

(運賃は400円)

(先ほどの3枚目の地図に続き、このあたりの地図をご参照ください) 今度も中型車が来ると思っていたが、意外にも大型車がやって来た。しかも系統番号はなぜか「1」。奈良市内を差し置いてなぜここが?と思って調べると、奈良交通の場合同じ系統番号が色々な営業所にあるよう。ここが榛原営業所にとって「いの1番」の路線というわけだ。乗るときは乗るときはたくさん乗るんだろう。4人が乗って発車した。


で、車内を見渡すと奈良市内の広告が目立つ。これも案の定で元々奈良市内の営業所にいたクルマらしい。「安全な乗合バスをご利用ください」なんて広告もあった。


野依まで元来た道を戻り、桜井とは逆向きに右折する。ここからは宇陀川に沿った2車線国道を走っていく。このバスが向かう榛原へは近鉄が大阪から1時間8本の電車を走らせている。周辺はもっとベッドタウン化されているかと思っていたが、案外スローな時間が流れていた。最初のうちは農家の人がのんびり散歩していたが、谷がキュッと絞られて段々家が途切れてきた。


まだ山の中を走るんかなあ、と思っていたが、五津を過ぎたところで目の前の景色が一変。家がびっしり建ち並び、高層マンションがそびえる一角が姿を現した。電車だと山の中を分け入るイメージがあったが、駅周辺は結構人が住んでそうな感じ。


そのびっしりとした一角に入ると近鉄線が姿を現し、榛原駅に到着。乗り降りがあって最後に降りたのは総裁を含めて3人だった。




07101706
拓けていたのは駅の南西側で、駅前自体は田舎町の趣き。宇陀川沿いより狭い谷間に駅はあった。コンクリート敷きの広場にはうどん屋とミスド。とりあえずミスドで新聞を読みながら一息入れる。


ミスドの客層は基本若いが、この店はお年寄りが多い。フランチャイズのファストフードというよりは街の喫茶店だ。多分ここが関西の端っこ。都会と田舎が混在した場所なんだろう。


4ヵ月ぶりのバス旅、スタートは上々だ。
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