08« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»10

ゲリラ雪

  : 

下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  /  tb: --  /  cm: --  /  △top

広島発 バスに揺られて(番外編3) 

6.名張駅前13:00→14:10奥津駅前(三重交通)31奥津駅前
09020801

(運賃は1010円)

(順に1,2,3,4,5,6の地図をご参照ください) 伊勢湾岸の松坂から内陸へJR名松線という鉄道が延びている。「名松」の松は松坂だが、沿線を見ても名にあたる地名はない。実は名張のことで、同じ盲腸線の旧可部線、錦川清流線同様に途中までしか建設されなかったのだ。今回乗るバスはその名張から名松線の現終点・伊勢奥津へ行く。鉄道建設の夢の跡を結ぶ路線なのだ。


バス待合所へ行くと爺さん婆さんがずらり。あと若い衆も結構いてベンチが一通り埋まるほどだった。名張からの奥津行きは1日2本。客は少ないだろうとタカをくくっていたが、バスが着くとベンチの人々が一斉に立ち上がった。平日昼間としては大入りの20人を乗せて発車した。みんな顔見知りらしく、周りの客に次々と声を掛けている。このバスが貴重な「井戸端」らしい。


最初は曽爾からのバスが来た道を引き返す形。夏見で3人乗る。ここで皇學館大学のスクールバスとすれ違った。さっきの若い衆はこれの折り返し便に乗るようだ。


夏見で曽爾への険道とお別れ。下比奈知で狭い街路に入り、民家の軒先をかすめる。途中には団地もあったが誰も降りる気配もなく、アナウンスだけが流れ続ける。一瞬2車線道路に出たのも束の間、滝ノ原口からまた細道に入る。そして上比奈知で目の前が灰色に染まった


ダムだ


あまりの巨大さに思わず息をのむ。地面にべったり張り付いた集落を築いたのも、灰色の壁を築いたのも同じ人間。その落差に思わず「はあー」と声を出してしまった。バスは天端(=てっぺん)の高さを目指し、エンジン全開でグネグネ道を登る。一気に高度をかせぎ、眼下の比奈知集落が模型みたいに小さくなったところで国道に合流した。道路脇の気温計は5度。


ここからはトンネルや歩道がしっかり整備されたダムの付替道路。濃い緑色の水面が広がるひなち湖を右手に、2車線の快適道をゆっくり走り抜ける。比奈知集落を出て15分、前のバス停を出て10分、やっと民家が見えてきた。付替区間が終わった横矢橋で再び道は狭くなり、やっと最初の下車客。沈下橋のある糀屋前で3人、長瀬局前でも2人とどんどん降り始めた。


そして道路もどんどん悪くなってきた。布瀬橋のきつめのカーブで対向車を待ち、ぎりぎりバスが通れる道幅を登っていく。狭いくせに交通量が多いし、対向車待ちのバスを抜かしていく不心得な一般車もいたりして難儀する。大戸屋口の手前では窓をこすりそうになった。抜群の車両感覚がないとこの路線は運転できない。乗っている総裁の手に汗握る。


そんな中、津市(旧美杉村)に入った。もっとも市街地までは直線でも35km離れていて、県庁所在市内とは思えないほど。平成の大合併で多くの自治体が無理をした一例だ。


合併したからといって道路事情が急によくなる訳もなく、相変わらずのヘロヘロ道。飯垣内でセンチ単位の離合を突破し、下太郎生(しもたろう)でやっと津市最初の集落が見えてきた。もっとも民家の軒先が道路に出ているので離合の難易度はさらにアップするわけだが。


太郎生殿橋あたりから旧道に入る。相当山深い場所だが断続的に集落は続き、太郎生で残り半分ぐらいの乗客が降りた。よく見ると谷をつなぐ橋の向こうにも集落がある。中太郎生では寝ていたおばちゃんが慌てて起きて下車。外は日差しが戻り、車内はぽかぽか暖かい。平日だというのにライダー集団とすれ違い、上太郎生でさらに狭い道に入るが、もう驚かなくなった(笑)


坂を登り切ったところで「奈良県」の標識が現れた。


ん、奈良県??


そう、旧美杉村の南西に奈良県御杖村が食い込んでいるのだ(このへん参照)。地形の関係で、太郎生から旧村内の他地区へは奈良県内を通った方が早い。平成の大合併の時は太郎生の人たちが名張市への分村合併を求めて議会に住民発議を起こしたほどだ。間もなく午前中通った国道369号(伊勢本街道)の続きと合流した。


久々に信号があった国道交差点脇が敷津。名張から1日4本ある区間便の終点で、三重交通の車庫もある(wiki中の写真参照)。このバスに接続する御杖村営バスが入口を開けて待っていて、ここで総裁以外の全員が降りた。


2車線道路に出た!と安心したのも束の間、三重県津市に戻るとまた道が狭くなった。払戸まで来るとまとまった数の家が建ち並ぶようになり、狭い路地を左折したらそこが伊勢奥津駅だった。曽爾-名張もそうだったが、名張あたりでバスウテシをしようと思ったら、よほど腕が確かでないと勤まらない。プロのドライバーは凄い。


乗ってきたバスは折り返しの名張行きになるか、敷津へ回送するものと思っていたら「飯垣内」行きに変わった。名張市から津市に入った直後にあったあのバス停。何と名張駅発だけでなく、奥津駅発の区間便もあったのだ。逆向きは調べておらず、これには驚いた。




09020803 同じく盲腸線だった旧可部線三段峡と違って、伊勢奥津にはこれといった観光地もない。本当に何もない場所だと思っていたが、駅舎は駅と行政施設が一体になった真新しい建物だった。

少し立ち止まってみた。しーんとしていて、耳に入るのはザーッと風がそよぐ音と鳥の鳴き声、そして遠くから聞こえる川の流れだけ。人工的な要素は何一つない。胸一杯空気を吸い込む。つい1時間前まで本当に街中にいたのだろうか…なんて気持ちになる。同じ空の下、総裁の職場ではみんなアクセク働いている時間だ。


待合室には駅ノートがあった。最初はここまで来た足跡を残そうかと考えたが、パラパラめくると名松線に乗った感想がほとんど。総裁と同じバスで来た人もここから列車で下ったようだ。バスだけの旅で立ち寄った人間が書くのはどうもバツが悪い。パスすることにした。


そんなとき駅に婆さんがやって来て「名松線の時刻はどこに書いてんの?」と聞いてきた。総裁が時刻表を指さすと、じっくり眺めて帰って行った。やはりお年寄りには公共交通機関が欠かせないんじゃなあと思ったが、時刻を知らないということは普段乗っていない証拠でもある。何だか切ない。

09020802

ホームに出ると、古めかしい給水塔が残っていた。2月のやわらかい日差しは心地よく、待合室より外の方が過ごしやすい。バス停に戻って待つことにした。




前述の御杖村営バスは曽爾-名張で通った掛西口と敷津を結び、実は総裁が使ったルートをショートカットしている。両端で三重交通か奈良交通のバスに接続するダイヤ設定で、今回も掛西口で1時間半待てば、敷津で奥津駅前行きに接続するバスに乗ることができた。


ただ、敷津方で名張発着便にしか接続していない。活用できる便は限られていて、現行ダイヤでは掛西口12:53→敷津で今回乗った奥津行きに乗り換える、奥津14:52飯垣内行き→敷津で1時間50分待って村営バス→掛西口で奈良交通に乗り換え、の2パターンぐらいしか使いようがない。少しイジるだけでどうにかなりそうな感もある。うーん。
スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

△top

この記事に対するコメント

△top

トラックバック

トラックバックURL
→http://guerillasnow.blog49.fc2.com/tb.php/364-9d05d6f2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。