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ゲリラ雪

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下道(かどう)会総裁が「よしなしごと」をゲリラ雪のように、書くときは大量に、書かないときは放置気味に記します

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北海どうでしょうⅡ 13 

バス通り沿いのローソンへボールペンを買いに行き、バス停に戻るとちょうどバスがやってきました。事前の調べ通り観光タイプのクルマです。と、待合室からお年寄りがぞろぞろ。ベンチからバスの座席に移動するまでさえ惜しんで話に花を咲かせています。にぎやかなスタートになりました。


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2.留萌駅前10:05→10:38花田番屋前 (沿岸バス)  豊 富 

(萌えっ子フリーきっぷ使用)



お年寄りたちに続いてバスに乗ると、何とラジオがかかっていました! 実はコレ、運転手の趣味ではなくホームページにも記載がある、れっきとした車内サービスなんです。そういえば総裁が小学生だったころは広電バスでもラジオが流れてました。塾通いの車内で「小沢昭一の昭一的こころ」やカープの中継を聞いたっけ。いつしか流れなくなりましたが、オロロンラインでは健在でした。


ラジオだけではありません。バスカードやIC乗車券なんてどこ吹く風のシンプルな運賃箱、押せば昔の広電バスと同じ「ピーッ」と鳴る押しボタン、抽象画を思わせるボディーペイント…初めてなのに懐かしい。クルマこそ新しめ(一部サイトによると1997年式らしい)ですが、車内は昭和が色濃く残っていました。小さいころ、広島バスセンターで遠くへ行くローカルバスを見るたび湧き上がった「乗ってみたい」という気持ち。当時と雰囲気が近いバスに乗って、真に願いが通じたと思いました。ここまで乗りに来て良かった。


ほっこりした気持ちになって前を見たら…


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車内でも萌えっ子PR中! このへんは21世紀のバスでした。まあこれで総裁も知ったんだし、このきっぷ使ってるし(^^;


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さっき来たルートをだいぶ戻るとみていましたが、留萌駅前の1つ次、末広町で住宅地へ行く方に左折。「あれ?」と思う間にJR留萌本線を交差して、駅の反対側を通る裏道に出ました。幅は広いけどセンターラインがない、工場の敷地内みたいな道を留萌川沿いに走行。青い橋を渡ってオロロンライン(国道232号)に出ました。時刻表を見る限り留萌市立病院や留萌高校を回らない便なので近道をしたようです。


ここで萌えっ子フリーきっぷに日付を記入。案の定、ちょっと揺れ気味の字になりました。


4車線道。バスはスピードを上げます。そして留萌駅前から6つ目の北堤橋で、空色と群青がせめぎ合う日本海沿いに出ました。国道と山側の狭い土地にひしめくように板張りの家がひしめき合っています。おばちゃんたちが「きれい」「海の底が平だねえ」と声を上げました。遠くから見ると暗い色の海はよく見ると透き通っていて、海砂がどこまでも広がっています。


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間もなく留萌市から小平町に。最初の集落に入り、定置網用の浮きが並んでいる「臼谷1区」で早速1人降りました。留萌-小平は沿岸バスのほか、てんてつバスもあり1時間に1,2本の運行。近距離の利用もあるみたいです。おばちゃんたちが「あれが××さんの家だよ」なんて話していました。皆さんご近所さんみたい。


小平町に入ってからは集落が途切れなく続くので本州の日本海沿いに近い趣き。小平中央で中高生っぽい女子が1人乗って、若いお客さんが総裁を含めてやっと2人になりました。平日のこの時間に制服女子…ま、いいか。


市街地といえども家の裏側はすぐに海。板張りの塀が続き、冬の厳しさを予感させます。


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小平川尻で集落も塀も途切れ、温泉施設「ゆったりかん」入口脇のトンネルを抜けると、海のキワを走るようになりました。家が見えなくなった代わりに、断崖絶壁の上には巨大な風車が並び、ぐわんぐわんと風を受けています。何もかもスケールが大きくて、巨人の国に迷い込んだ気分。


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北西の季節風が吹き付ける北海道は風力発電の適地で、合計出力では全国一。中でもオロロンライン沿いに多く、出力比で道内の3分の1を占めます。なるほど、集落に板塀が欠かせないわけです。厄介者の風を逆手に取れる上、クリーンエネルギーなので一石二鳥。ただ、海外部品に依存しているためトラブルも多く維持運営は大変みたいです。(データは北海道産業保安監督部ホームページ<このへん参照>による)


大椴(おおとど)で札幌から来た都市間バス「はぼろ号」に道を譲り、かなり山側に家がポツポツ建つ秀浦集落を通過。道の駅おびら鰊番屋の前にある「花田番屋前」に着きました。


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ざっぱーんという波の響きが出迎えてくれました。






バス停名の花田番屋は日本最北端の国指定重文。ニシン漁最盛期の1905年、漁夫たちの宿舎兼漁業基地として建ちました。ニシンが群来し「一起こし千両」といわれた時代、網元たちは競って豪華な番屋を築きました。花田番屋もその1つ。延べ床面積906平方メートルもあり、外観は学校のようです。巨大な梁や柱など木材はすべて大椴(さっきはぼろ号に道を譲ったあたり)の山から切り出しました。71年の重文指定に伴って小平町が買収。3年かけて解体・修復しました。


ニシンの漁期は春の1,2カ月程度。漁夫たちは船上で過ごし、番屋に帰ってくるのは夜と天気が悪い数日のみ。つまり、フル活用されるのは全部合わせても年間十数日なんです。実用はもちろんのこと、権勢を誇るための建物でもあったといえます。


その番屋にあるのが道の駅。一瞬どちらが本物か間違えそうな造り(^^A 早速カントリーサインマグネットを買いました。食堂のメニューが充実していて「にしんそば」「焼きにしん定食」はかなり気になりました。稚内-札幌を結ぶ都市間バスのうち、夜行便はここで休憩と運転手交代があります。今でも「バスの番屋」として機能しているんですね。


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中に入りましょう。玄関からすぐが土間。ここから左が花田家、右が漁夫(ヤン衆)の場所とはっきり分けられています。まずはヤン衆側へ。一気に視界が開け、巨大な生活スペースがありました。ふと、網走監獄と同じ「人間の臭い」がしました。かすかに漂う程度ですが。ストレスによる汗は臭いを伴うといいます。監獄と違って番屋には、「ニシンでひと儲けして、暮らしを楽にするぞ」という希望があったのでしょう。


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いい吹き抜けだ(渡辺篤史風)。屋根が高いのは煮炊きの煙がこもらないようにするためだそうです。200人程度が一度に寝泊まりできるだけあって、高いだけでなく、とにかく広い。いろりが3つ並ぶ食事場は相撲の土俵より面積があります。周りにはまるで劇場の座席みたいに、寝床が何段も並んでいました。


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個人のスペースは1畳ほど。まさに寝に帰るだけの場所でした。刑務所並みの詰め込み方ですが、頑張ればお金になるからと豊漁を夢見て耐え忍んだのでしょう。今でこそがらんとしていますが、最盛期は相当なにぎわいで静まる暇なんてなかったはず。大漁の日などはそれこそ劇場のように笑い声と自慢話がこの場所を包んだのでしょう。目をつぶると喧噪が蘇ってきそうです。



これだけたくさんの人間の胃袋を満たすのだから、厨房の道具も巨大です。朝は野菜を刻む音と、味噌汁の匂いで目覚めたのかなあ。当時ニシン番屋では庶民がなかなか口にできない白米を食べていたそう。「米が食えるから」とヤン衆になった者もいたとか。群来に当たれば銀行員の倍は稼げたそうです。


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寝床の裏側はヤン衆たちの荷物置き場。今は当時使った漁具を展示しています。どれも角が丸く取れ、荒波にもまれた記憶を残していました。


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次に網元・花田家側の居住スペースに入ります。今までのシンプルな板張りが一転、細部まで細工を施した、贅を尽くした空間が広がっていました。土間のすぐ横が親方の部屋。欄間の見事な浮き彫りに目が釘付けになりました。裏庭もあり、小京都のたたずまいすら感じます。ヤン衆たちの居場所が「動」なら、こちらは「静」といったところでしょうか。


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金庫部屋には当時の食卓を再現した器が並んでいました。もちろん輪島塗。さすがに食べ物は載っていませんが、料亭で出るような懐石が並んでいたことは想像できます。内装や調度品だけでなく、食も豪勢だったようです。


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金庫部屋の隣が仏間。よく見ると「出雲大社云々」と書かれた札がかかり、スケールは違えど、総裁の実家と同じ浄土真宗様式の仏壇もあります。出雲大社ってこんなところでも信仰を集めてたんだなあ。


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入口で預けた荷物を受け取り、くつを履いていると受け付けの婆ちゃんから「どこから来たの?」と聞かれました。「広島です」「まぁまぁ、遠くから」。そしてこんな言葉が続きました。


「この花田家も広島の出身なんだよ」


ええええっ!!!! だから出雲大社のお札なのか! 浄土真宗の檀家さんだったので、元々は安芸門徒!? 今まで遠い存在だった歴史上の人物が、急に身近な人になりました。


婆ちゃんによると、花田家は北海道に渡って、まず函館でニシン漁経営のイロハを学び、小樽で成功。より良い漁場を求めて小平へ来てこの番屋を建てました。1939年にニシン漁を止めてからも96年に3人の子どもが亡くなるまでお金に困ることはなく、たくさんの遺産を遺したそうです。それでいて子どもさんはいずれも結婚せず、慎ましやかな暮らしぶりだったらしい。財産も人格も、最近のセレブ(=成金)とは比べものにならないぐらい器の大きい人たちだったようです。


国道を渡って海岸に下りると、透き通った日本海がどこまでも広がっていました。


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ホッカイドウドリームの頂点を究めた花田家。繁栄の陰で、海と空の遙か彼方にある広島を想ったのでしょうか。当時と同じたたずまいを残す秋の海は、そんな思索が似合います。広島から来た総裁を歓迎するように空が晴れ渡ってきました。


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